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友鹿金氏(ゆうろくきんし、朝鮮語: 우록김씨)または賜姓金海金氏(しせいきんかいきんし)は朝鮮の氏族。こうした経緯から、もともとの金海金氏と血縁関係はない[1]本貫は、慶尚南道金海市。人口は、約7000人[2]

歴史編集

始祖は、日本の武将とされる沙也可である。文禄・慶長の役のときに、加藤清正の先遣隊として朝鮮へ渡るが、投降した。その後、朝鮮軍に加わって豊臣軍と戦い武勲を挙げ、宣祖から金忠善の名と官位、大邱郊外の友鹿里の領地、金海金氏の姓を賜る[3]

1603年の女真族侵攻の際には自ら志願して10年間国境を防衛した他、1624年の李适の乱では副將として徐牙之を討ち取る功をあげた。 1636年の丙子胡乱では召命を待たず、廣州雙嶺の戦いに参加し、和議成立後に友鹿里に戻った。

金忠善は、慶尚南道晋州牧師張春點の領主の娘を娶って定住した。[4]。その子孫一族が友鹿金氏である[5]

人物編集

集成村編集

人口編集

始祖金忠善の子孫は約200,000人、友鹿金氏を称する子孫は8000人である。

参考文献編集

  • 山田俊英『ポケット図解 韓国がよ〜くわかる本』秀和システム、2006年。ISBN 978-4798014302
  • 金光林 (2014). A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names. Journal of Cultural Interaction in East Asia Vol.5 東アジア文化交渉学会. http://www.sciea.org/wp-content/uploads/2014/05/03_JIN.pdf. p24

関連項目編集