軽米城(かるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町にあった日本の城。軽米町中心街を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯を城跡とした。

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軽米城
岩手県
城郭構造 平山城
築城主 軽米氏
築城年 不明
主な城主 軽米兵右衛門
遺構 曲輪空堀
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯40度19分35.9秒 東経141度27分39.4秒 / 北緯40.326639度 東経141.460944度 / 40.326639; 141.460944座標: 北緯40度19分35.9秒 東経141度27分39.4秒 / 北緯40.326639度 東経141.460944度 / 40.326639; 141.460944
地図
軽米城の位置(岩手県内)
軽米城
軽米城
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概要 編集

築城時期は不明。80メートル×120メートルの本丸(現・駐車場)と、その東側の60メートル×60メートルの二の丸(現・町役場庁舎)の間に堀を巡らす、複郭構造の平山城である[2][3]陸奥国糠部郡軽米村に所在し、軽米氏の本拠地として、天正19年(1591年)の九戸政実の乱において九戸城に立て籠った軽米兵右衛門の名前が見られる(『奥南旧指録』)。乱鎮圧後に、北信愛の三男・九兵衛愛継が2000石の知行を得て居城とした。

寛文5年(1665年)、八戸藩の創立に伴い北氏は鹿角大湯に転封、以後八戸藩の軽米通代官所が置かれ明治時代に至った。

発掘調査 編集

2014年(平成26年)12月、町役場の暖房システム設備の設置工事に伴い、軽米町教育委員会により遺跡の存在有無を確認するための試掘調査が行われ、城跡などに関するとみられる埋蔵文化財が確認された[3]。このため、2015年(平成27年)4月~6月に初の発掘調査が実施された[4]。町議会棟前駐車場の、暖房システム設置範囲(94平方メートル)という狭い面積であったが、調査区内から掘立柱建物跡とみられる柱穴群(100本以上)や堅穴構造を持つ建物が検出された。遺物としての小札(こざね)板や二枚貝(貝合わせ用の貝、または漆塗パレット?)、中国産陶磁器鉄製品古銭などが出土した。これらの年代は16世紀前半とみられ、史料に見える1530年代の城主「軽米與右衛門(よえもん)」の存命時期に重なり、軽米城主との関係性が想定される出土品や発見があった[4]。なお、城跡の遺構より下層からは、縄文時代石器製作場とみられる遺構も見つかった[5]

脚注 編集

  1. ^ 『町勢要覧資料編』軽米町公式HP
  2. ^ 岩手県教育委員会 1986 p.83
  3. ^ a b 藤田 2015年7月 p.11
  4. ^ a b 藤田 2015年8月 p.11
  5. ^ 藤田 2015年9月 p.11

参考文献 編集

関連項目 編集