通川郡(トンチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国江原道に属する。名目上は韓国江原特別自治道の最北端の郡である。

通川郡
侍中湖
位置
各種表記
チョソングル: 통천군
漢字: 通川郡
片仮名転写: トンチョングン
ローマ字転写 (MR): Tongchon kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
テンプレートを表示

地理

編集

太白山脈の東側、日本海沿岸に位置する郡。

隣接行政区は以下の通り。

郡内の地形としては以下がある。

行政区画

編集

1邑・30里を管轄する。

  • 通川邑トンチョヌプ
  • 佳興里カフンニ
  • 江洞里カンドンニ
  • 巨城里コソンニ
  • 旧邑里クウムニ
  • 君山里クンサンニ
  • 金蘭里クムナンニ
  • 垈谷里テゴンニ
  • 路上里ロサンニ
  • 龍水里リョンスリ
  • 龍川里リョンチョンニ
  • 梨木里リモンニ
  • 鳴皐里ミョンゴリ
  • 嵋坪里ミピョンニ
  • 芳浦里パンポリ
  • 碧巌里ピョガムニ
  • 宝炭里ポタンニ
  • 宝湖里ポホリ
  • 峯湖里ポンホリ
  • 松田里ソンジョンニ
  • 新垈里シンデリ
  • 新林里シルリムニ
  • 新興里シヌンニ
  • 慈山里チャサンニ
  • 長台里チャンデリ
  • 長津里チャンジンニ
  • 中泉里チュンチョンニ
  • 沛川里ペチョンニ
  • 豊山里プンサンニ
  • 河水里ハスリ
  • 貨通里ファトンニ

歴史

編集

前近代

編集

高句麗時代には、休壌郡と習比谷県が置かれた地域である。新羅時代にはそれぞれ金壌郡・習谿県と改称された。

高麗時代に習谿県は歙谷県に、金壌郡は通州にそれぞれ改称された。

朝鮮王朝時代、この地域は江原道観察使の管轄となった。1413年、通州は通川郡に改称された。

近代

編集

1895年、江陵府所属の通川郡・歙谷郡となり(二十三府制)、1896年に2つの郡は江原道に属することとなった。1910年、歙谷郡が通川郡に編入された。

1936年には、庫底港を有する順嶺面が庫底邑に昇格した。1945年8月の時点で、16(庫底邑・通川面・松田面・鶴一面・歙谷面・碧養面・臨南面)が存在した。

第二次世界大戦後

編集

1952年12月の行政区画統廃合にともない、臨南面を高城郡に、歙谷面の6里を安辺郡に編入。庫底面(庫底邑)・通川面・松田面・鶴一面・碧養面の全域、歙谷面の一部からなる通川郡が再編された(1邑31里)。人民委員会を庫底邑に設置してその区域を通川邑と定め、旧通川面の中心集落は旧邑里に改称された。2003年現在、1邑30里からなる。

年表

編集

この節の出典[1]

  • 1413年 - 通州とされた。
  • 1895年 - 江陵府通川郡・歙谷郡となった。
  • 1896年 - 江原道通川郡・歙谷郡となった。
  • 1910年 - 歙谷郡が通川郡に編入。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、通川郡に以下の面が成立。(8面)
    • 順嶺面・郡内面・碧養面・踏銭面・臨南面・鶴一面・鶴二面・鶴三面
  • 1917年 - 郡内面が通川面に改称。(8面)
  • 1923年 - 通川面が郡内面に改称。(8面)
  • 1928年4月1日 - 鶴二面・鶴三面が合併し、歙谷面が発足。(7面)
  • 1931年 - 郡内面が通川面に改称。(7面)
  • 1936年10月1日 - 順嶺面が庫底邑に昇格。(1邑6面)
  • 1945年(光復直後) (1邑7面)
    • 踏銭面が松田面に改称。
    • 歙谷面が分割され、鶴二面・鶴三面が発足。
  • 1949年 (7面)
    • 鶴二面・鶴三面が合併し、歙谷面が発足。
    • 庫底邑が庫底面に降格。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、通川郡庫底面・通川面・碧養面・松田面・鶴一面および歙谷面の一部地域をもって、通川郡を設置。通川郡に以下の邑・里が成立。(1邑30里)
    • 通川邑・宝炭里・嵋坪里・旧邑里・峯湖里・貨通里・河水里・君山里・慈山里・龍川里・長津里・豊山里・麻田里・宝湖里・梨木里・垈谷里・沛川里・長台里・松田里・巨城里・路上里・江洞里・龍水里・新垈里・芳浦里・佳興里・中泉里・碧巌里・新林里・新興里・金蘭里
  • 1954年10月 (1邑30里)
    • 龍川里・貨通里の各一部が合併し、鳴皐里が発足。
    • 麻田里が梨木里に編入。
  • 1967年10月 - 豊山里の一部が梨木里に編入。(1邑30里)

交通

編集

出身者

編集

脚注

編集

外部リンク

編集