遼北省
中華民国の省
遼北省(りょうほくしょう)は、中華民国にかつて存在した省。中国東北の松遼平原西部に位置した。
中華民国 遼北省 | |
← 1947年 - 1949年 → | |
遼北省の位置 | |
簡体字 | 辽北 |
繁体字 | 遼北 |
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拼音 | Liăobĕi |
カタカナ転記 | リャオベイ |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 遼源県 |
建置 | 1945年 |
廃止 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 121,624 km² |
人口 | |
- 総人口(1947) | 490.4 万人 |
歴史
編集1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い満洲国が崩壊すると9月4日に国民政府は遼北省省長を任命した[1]。1947年(民国36年)6月、国民政府は東北9省の行政区域を規定する『東北新省区方案』公布し、満洲国の四平省及び興安総省興南地区の大部分及び松江省の一部に新たに遼北省を設置、省会を遼源県に定め、下部に1市18県6旗を管轄した。
1948年(民国37年)の遼瀋戦役により勝利した共産党軍により、中華民国は省域の大部分の実効支権を喪失、3月4日には四平市が陥落し、中華民国の行政機構として機能した期間はごくわずかであった。
行政区画
編集脚注
編集- ^ 『国民政府公報』渝字第849号 1945年9月6日
関連項目
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前の行政区画 奉天省 |
遼寧省の歴史的地名 1947年 - 1949年 |
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