鄭 文欽(チョン・ムヌム、朝鮮語: 정문흠1892年9月1日[1]または1893年[2]または1896年[3] - 1976年3月1日)は、朝鮮独立運動家大韓民国政治家。第2・3・4代韓国国会議員。

経歴 編集

現在の慶尚北道奉化郡出身。三・一運動の後は満洲で独立運動を行い、1923年に満州東中を卒業した。その後は帰国し、慶興郡金融組合長を務めた[2]。1950年の第2代総選挙に奉化選挙区から無所属で出馬して当選し、以後は自由党所属で2選した[1]。1959年には自由党総務、1966年には自由党政策審議会会長を務めた[2]

1976年に慶尚北道奉化郡春陽面の自宅にて老衰のため死去した。享年86[4]

エピソード 編集

韓国語の「억지춘향」または「억지춘양」という慣用表現語源の1つは、法田駅から鹿洞駅までの嶺東線(旧・栄岩線)の線形は春陽面(春陽駅の所在地)を経由するために「Ω」状に大きく回ることである[5]。これは当時国会議員を務めていた鄭文欽による「我田引鉄」の影響だと言われる[6]

脚注 編集

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年10月4日閲覧。
  2. ^ a b c 정문흠(鄭文欽)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年10月4日閲覧。
  3. ^ 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 韓国史データベース. 2023年10月4日閲覧。
  4. ^ 前議員(전의원) 鄭文欽(정문흠)씨”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1976年3月3日). 2023年10月4日閲覧。
  5. ^ 이래서 '억지 춘양'이라는 건가” (朝鮮語). 오마이뉴스 (2014年6月13日). 2023年10月6日閲覧。
  6. ^ [자박자박 소읍탐방] 솔향기 그윽한 봉화 춘양, 억지로라도 한번 가보시더” (朝鮮語). 한국일보 (2018年12月4日). 2023年10月6日閲覧。