酒井忠和
酒井 忠和(さかい ただより)は、安房国勝山藩の第6代藩主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永4年(1775年) |
死没 | 文化7年10月12日(1810年11月8日) |
改名 | 熊次郎(幼名)、忠和 |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
官位 | 従五位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 安房勝山藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 父:酒井忠鄰、母:酒井忠恭の養女 |
兄弟 | 忠和、土井利豊正室、島津久道室 |
妻 | 正室:井上正国の娘 |
子 | 忠美、忠嗣 |
略歴
編集安永4年(1775年)、第5代藩主・酒井忠鄰の長男として生まれる。幼名は熊次郎、通称は隼人。寛政3年10月6日、将軍徳川家斉に拝謁する。寛政5年(1793年)5月6日、忠鄰の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下大和守に叙任する。
前年に死去した父、さらに7月に死去した嫡男の忠美の後を追うように、文化7年(1810年)10月12日に死去した。享年36。跡を次男の忠嗣が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 井上正国の娘
子女