里見 富次(さとみ とみじ、1898年明治31年〉3月27日 - 1998年平成10年〉6月29日[1])は、日本内務官僚。元帝都高速度交通営団理事

経歴

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鳥取県境町(現境港市)出身[2]。里見周三の二男[2]

第四高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格[3]大正13年(1924年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業[2]内務省に入省し福島県属となる[3]

大正15年(1926年)7月福島県事務官に任ぜられ爾来神奈川県事務官、高知県経済部長、千葉県書記官・学務部長[4]文部書記官九州地方総監府参事官、近畿地方行政事務局次長等を歴任し、昭和23年(1948年)2月帝都高速度交通営団理事に就任した[2]

晩年は、日本進路指導協会会長、同理事長、顧問を歴任した[1]

人物像

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宗教浄土宗[5]仏教[6]

家族・親族

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明治41年(1908年)1月生[5]~没

脚注

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  1. ^ a b 『進路指導 = Career development guidance 9月号』63頁。
  2. ^ a b c d 第十六版 人事興信録 昭和26年(1951年)、さ六二
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』241頁。
  4. ^ 『官報』第3977号、昭和15年4月11日。
  5. ^ a b c d e 第廿一版 人事興信録 昭和36年(1961年)、さ一二三
  6. ^ 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 サ・シ347頁

参考文献

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  • 『進路指導 = Career development guidance 9月号』日本進路指導協会、1998年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。

外部リンク

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