金剛童子山

日本の京都府京丹後市にある山

金剛童子山(こんごうどうじさん)は、京都府北部の丹後半島にある[2]。標高は614メートルであり、竹野郡では太鼓山に次ぐ高峰である[3]。京丹後市大宮町五十河の北にある高尾山(620m)から北に向かって依遅ヶ尾山(540m)まで続く金剛童子山山系(熊野山系)の主峰である[4]。別名は熊野山[2][5]

金剛童子山
京丹後市弥栄町溝谷から見た金剛童子山
標高 614[1] m
所在地 日本の旗 日本
京都府京丹後市
位置 北緯35度39分34.5秒 東経135度08分31.6秒 / 北緯35.659583度 東経135.142111度 / 35.659583; 135.142111座標: 北緯35度39分34.5秒 東経135度08分31.6秒 / 北緯35.659583度 東経135.142111度 / 35.659583; 135.142111
山系 金剛童子山系
プロジェクト 山
テンプレートを表示

名称 編集

密教の護法童子(仏法を守る童子姿の鬼神)の中の一子が山名の由来であるとされる[5]。山頂には役小角(えんのおづぬ)を祀った行者堂が建っており[5]、周辺地域から信仰を集める[1]

地理 編集

 
丹後半島の中央部にある金剛童子山

第三紀古期の安山岩からなるトロイデ型(鐘状型)の山である[4]丹後半島の中央部にあり[5]、西方にある竹野川流域の峰山盆地から眺望できる[4]。山域にはカエデが多く、シャクナゲの群生地もある[2][4]

頂上付近には絶壁が多い[4]。標高約350mの味土野から登山道が伸びており、味土野から山頂まで約50分である[5]。山頂は京都府京丹後市弥栄町等楽寺と須川の中間付近にある[2]

飛鳥時代呪術師役小角が修行したことから、かつては20以上のがあったとされ、今日でも行場や行者堂がある[2]。中腹には宇多天皇の治世(867年-931年)に行恵が創建したとされる生蓮寺の遺構がある[3]

味土野集落 編集

 
「味土野之跡」

南東麓の標高350-400メートル付近には味土野(みどの)集落がある[2]。味土野は天正10年(1582年)の本能寺の変後に細川ガラシャが幽閉されていた集落であり、「御殿」(みどの)と書いた時期もあった[2]。かつては南麓の標高400メートル付近に高原集落があり、味土野からこの高原集落に道が通じている[2]

かつて味土野には弥栄町立野間小学校味土野分校があり、1971年(昭和46年)の閉校翌年には弥栄町営ガラシャ荘として使用されたが、消防法の関係で宿泊が不可能になったことから、味土野公民館として使用されていた[2]。1963年の三八豪雪(丹後豪雪)を機に味土野集落から離れる住民が相次ぎ、2016年(平成28年)時点では3世帯5人が暮らすのみである[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 山と渓谷社 (2017)、pp. 14-15
  2. ^ a b c d e f g h i j 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
  3. ^ a b 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年
  4. ^ a b c d e 「角川日本地名大事典」編さん委員会『角川日本地名大事典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
  5. ^ a b c d e 日本山岳会 (2005)、p. 1317

参考文献 編集

  • 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
  • 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年
  • 「角川日本地名大事典」編さん委員会『角川日本地名大事典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
  • 『京都府の山』(分県登山ガイド)山と渓谷社、2017年
  • 日本山岳会『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年