金 章洙(キム・ジャンス、1948年2月26日 - )は、大韓民国政治家外交官軍人。第37代陸軍参謀総長、第40代国防部長官、駐中国大使、初代国家安保室長、第18代国会議員などを歴任。最終階級は陸軍大将。

金章洙
김장수
生年月日 (1948-02-26) 1948年2月26日(76歳)
出生地 南朝鮮の旗 南朝鮮全羅南道光州市
出身校 陸軍士官学校
所属政党ハンナラ党→)
自由韓国党→)
無所属

在任期間 2006年11月24日 - 2008年2月29日
大統領 盧武鉉

選挙区 ハンナラ党比例代表
当選回数 1回
在任期間 2008年5月30日 - 2012年5月29日
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金章洙
김장수
生誕 1948年2月26日
南朝鮮の旗 南朝鮮全羅南道光州市
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1971 - 2006
最終階級 陸軍大将
除隊後 第40代国防部長官
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金章洙
各種表記
ハングル 김장수
漢字 金章洙
発音: キム・ジャンス
英語表記: Kim Jang-soo
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本貫光山金氏キリスト教徒陸軍士官学校(27期)卒業、国防大学院安保課程修了、延世大学校行政大学院修士[1]

経歴 編集

1948年全羅南道光州市(現・光州広域市)で生まれた。1971年に陸軍士官学校(27期)を卒業し少尉に任官された。1993年首都防衛司令部作戦処長に就任し、以後陸軍士官学校生徒隊長、第1軍作戦処長、第6歩兵師団師団長、合同参謀本部作戦部長、第7機動軍団軍団長、合同参謀本部作戦本部長、米韓連合司令部副司令官[2]などの要職を歴任した。2005年には大将に昇進し、陸軍参謀総長に就任した[3]

2006年11月24日に辞職した尹光雄の後任として、盧武鉉大統領から第40代国防部長官に任命された[4]2007年アメリカを訪問し、ロバート・ゲーツアメリカ国防長官と会談した。会談では2012年米韓連合司令部を解体し、戦時作戦統制権を返還することで合意した[5]。同年10月2日南北首脳会談のため訪朝した盧武鉉大統領に随行した。金正日総書記と握手をする際に、頭を下げなかったことから韓国では「剛直将帥」と呼ばれ、賞賛された[6]。同年11月に北朝鮮平壌を訪問し、金鎰喆人民武力部長と会談した[7]。会談では朝鮮戦争の韓国人捕虜返還を要請した[7]

2008年李明博が大統領に就任すると国防部長官を退任し、ハンナラ党に入党した[8]。同年4月9日に行われた第18代総選挙にハンナラ党比例6番から立候補し[9]、当選した。

2013年朴槿恵が大統領に当選した際には、大統領職引継ぎ委員会外交国防統一幹事に任命された[10]。同年3月に朴槿恵大統領に国家安保のコントロールタワーとされる国家安保室長に任命された[11]。2013年に北朝鮮による核実験が行われた際には、野戦ベッドで寝泊まりするなど南北関係で高い評価を受けたが[12]2014年4月16日に発生したセウォル号沈没事故で国家安保室傘下の危機管理センターが混乱を招いているとの指摘に対して「国家安保室は、災害コントロールタワーではない」と発言したことで大きな批判を呼び、更迭された[13]

2015年には駐中国大使に任命された[14]2016年THAADミサイルを韓国に配備する際には、中国外交部から何度も呼び出された[15]

脚注 編集

軍職
先代
南在俊
大韓民国陸軍参謀総長
2005年4月7日 - 2006年11月7日
次代
朴興烈
公職
先代
尹光雄
 国防部長官
2006年11月24日 - 2008年2月29日
次代
李相熹
先代
(新設)
 国家安保室長
2013年3月25日 - 2014年5月22日
次代
金寛鎮
外交職
先代
権寧世
  在中華人民共和国大韓民国大使
第11代:2015年 - 2017年
次代
盧英敏