鈴田村
日本の長崎県東彼杵郡にあった村
鈴田村(すずたむら)は、長崎県東彼杵郡の南部にあった村。戦時中の1942年(昭和17年)、東彼杵郡南部の各町村と合併を行い市制施行、大村市となった。
すずたむら 鈴田村 | |
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廃止日 | 1942年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併・市制施行 大村町、福重村、萱瀬村、松原村、鈴田村、三浦村 → 大村市 |
現在の自治体 | 大村市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,153人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 諫早市、東彼杵郡大村町、三浦村 |
鈴田村役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡鈴田村岩松郷 |
座標 | 北緯32度53分22秒 東経129度59分32秒 / 北緯32.88942度 東経129.99214度座標: 北緯32度53分22秒 東経129度59分32秒 / 北緯32.88942度 東経129.99214度 |
ウィキプロジェクト |
現在の大村市鈴田地区にあたる。
地理
編集- 河川:鈴田川、古松川、針尾川、稲川内川、白鳥川、内倉川
- 湾:大村湾
沿革
編集『大村郷村記』によれば、古くは「今里村」と称した時期があったとされる[1]。「鈴田」の地名の由来は、地内の鎮守地主大明神の社脇の田地からかつて鈴が掘出されたことによると伝えられる[2]。鈴田村は江戸中期頃に「上鈴田村」「下鈴田村」の2村に分かれた時期があったが、1814年(文化11年)に再び1村に統合されている[1]。
地名
編集郷を行政区域とする。鈴田村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
- 岩松郷
- 大里郷
- 陰平郷[3]
- 中里郷
- 平小川郷(ひらおがわ)
名所・旧跡
編集- 鈴田牢跡
- 鈴田道意館跡
- 小川内鬼の石
- 塔の峰城跡
- 岩松城跡
- 鈴田番所跡
- 久良寺跡
- 西明寺跡
- 庵寺跡
- 無量寺跡
- 西光寺跡
- 幸久寺跡
- 福王寺跡
- 皿山跡
交通
編集鉄道
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、234-257頁 。 - Google ブックス