鉄崖 道空(てつがい どうくう、1626年寛永3年) - 1703年元禄16年))は、黄檗宗。父は浅井為政。母は稲田氏。祖父は浅井長政とする説がある。

鉄崖 道空
1626年 - 1703年
諡号 鉄崖
尊称 道空
没地 阿波国
宗派 黄檗宗
寺院 竹林院
慶岳
鉄牛
隠元
木庵
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生涯 編集

1626年寛永3年)、浅井為政の子として生まれ、祖父は浅井長政とされているが定かではない。父は小谷城の落城の際に幼少の為に難を逃れ、仙台伊達忠宗に仕えた後、阿波国蜂須賀忠英に仕えたとされる[1]

1633年寛永12年)に瑞巌寺の慶岳の許で出家。17歳で黄檗宗興禅寺の門下となり、鉄牛の法弟となる[2]。その後は隠元木庵に師事し、1677年延宝5年)に52歳で木庵の法を嗣いだ[3]1679年(延宝7年)に徳島藩主の帰依を受けて竹林院を開基した[1]

1703年元禄16年)、死去[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 竹林院”. ハウスマイル. 2023年10月11日閲覧。
  2. ^ 『木庵』(黄檗山萬福寺、1983年
  3. ^ 『讀史總覽』(人物往来社1966年