鍋島信房

日本の戦国時代の武将

鍋島 信房(なべしま のぶふさ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将肥前国大名龍造寺氏の重臣。佐賀藩家老神代鍋島家の祖。藤津郡の家臣団「藤津衆」を侍大将として統轄していた。

 
鍋島 信房
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 享禄2年(1529年
死没 慶長14年(1609年
改名 房茂
別名 三郎兵衛尉(通称)、豊前守(受領名
主君 龍造寺隆信龍造寺政家鍋島直茂
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島清房、母:華渓(龍造寺家純の娘)※母は異説あり。清房の庶長子ともいわれる。
兄弟 信房、直茂、小河信俊龍造寺康房
茂昌茂治伊万里茂成石井茂利室(養女)
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生涯

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父・鍋島清房や弟の直茂ともに龍造寺隆信に仕える。天正4年(1576年)に鹿島城の前身である常広城を築城してここを拠点とした。隆信の死後は、弟・直茂に従って引き続き鹿島を治めた。慶長13年(1608年)に直茂の次男・鍋島忠茂に常広城を譲って肥前国高来郡神代(現在の長崎市雲仙市)に移ったが、翌年に没した。

信房の子・鍋島茂治の伝記を書いた帆足清勝によれば享年81であったという。