鍋谷 直輝(なべたに なおき、1981年3月29日 - )は、放送作家番組制作会社ジェットプロダクション代表取締役。

なべたに なおき

鍋谷 直輝
生誕 (1981-03-29) 1981年3月29日(43歳)
日本の旗 日本大阪府堺市
住居 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
出身校 甲南大学法学部
職業 放送作家
活動期間 2001年 - 現在
団体 ジェットプロダクション
肩書き 構成作家
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来歴

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大阪府堺市出身。物心着いた時から、テレビ・ラジオっ子であった事もあり、小学校高学年時から放送番組制作業界への目標を抱いたが、中学時代にテレビ局への就職の近道が有名大学進学と言う事を認知して高校生活を過ごし、大学受験に臨んだが大学受験では志望校の合格が出来なかった事もあり、2000年4月、甲南大学法学部に入学[1]

一度は業界への就職を諦めたが、大学1年時の同級生に鍋谷の目標を話した際に、父親がテレビ番組のプロデューサーだった事もあってアルバイトの口を紹介して貰った事で、大学2年時から制作ブレーンとして『探偵!ナイトスクープ』の制作に参画[1]。番組制作と学業を兼ねた生活を送っていた。

その後、アナウンサー志望としてアナウンススクールに通い、各民放テレビ局への就職試験の準備をしていたが、鍋谷の学生時代から2021年時点に至る迄、就職選考日程が早かった事も有り、前述の生活を送っていた為、気付いた時には殆どの放送局における就職選考日程が終了して受験機会を逸しており、一般職としても就職選考の受験を行わなかった[2]。その為、そのまま2004年3月に同大学法学部を卒業し、フリーのアシスタントディレクターとして番組制作の仕事を従事し、特番時代から『たかじんのそこまで言って委員会』に参画。2007年12月に番組制作会社であるジェットプロダクションを設立。

『委員会』にて、当時:読売テレビ報道局報道部解説委員であった辛坊治郎と出会っていたが、この時点では1スタッフと1演者の間柄で、特段個人的に会話をする機会が沢山あった訳では無かった。鍋谷が辛坊の1ファンであったこともあり、辛坊が読売テレビ退社後に始めたメールマガジンの会員で、会員向けに自身が所有するクルーザーのボランティアクルーとして応募[3][4]

船艇での活動を通して、辛坊と話す時間が必然的に長くなり、その中でボランティアクルーの取り纏め役になった事で鍋谷も本気度を出す為に1級小型船舶免許を取得し、練習航海やドックからの廻航を通して関係性が深くなり、番組制作の場でも気に掛けて貰える間柄となった。その段階で、『朝生ワイド す・またん!』の番組内で辛坊のYouTuber宣言の言質をとる為に、辛坊の楽屋に趣いた後に辛坊の方から鍋谷へ質問する様になった事で、鍋谷がYouTubeチャンネルの管理と動画のアップロード(後に編集も含む)作業を担当する様になった[3]

また、ヨットの活動の場で業界での立ち回り方の話をする事が増えた事を契機に、鍋谷がアナウンサー志望であった事や辛坊にラジオ番組を持つ願望を推した事で、2019年の上半期からラジオ番組への共演条件にして貰ったり、辛坊の番組制作メンバーとして周辺スタッフも推して貰える様になった事で、実質的に座組みの構成作家として番組制作及び出演する事となった。

出演番組

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過去

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テレビ

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ラジオ

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以下、辛坊の太平洋横断再挑戦のサンディエゴ往路、大阪淡輪ゴールリポーター

制作番組

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現在

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テレビ

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ラジオ

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過去

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テレビ

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映画

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脚注

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  1. ^ a b 異例の斬新講義で夢・目標を叶える秘訣を伝授! ープロデュース論ー”. 流通科学大学 (2020年6月12日). 2021年4月1日閲覧。
  2. ^ 【1週間働いて5千円!? 放送作家って儲かりまっか?! キスナーからの質問に真摯に答えます!!~KissFM KOBE「辛坊治郎SundayKissぷらす」おまけ~ - YouTube
  3. ^ a b 【辛坊治郎SundayKissおまけ企画】キスナーからの質問に回答!&番組の方向性アンケートのお願い~2021/5/2放送収録後のあまりトーク~ - YouTube
  4. ^ “辛坊治郎氏がヨットで太平洋横断へ出航 本人は「出航前にコロナをもらってたら心配……」”. デイリー新潮(週刊新潮). (2021年4月11日). https://www.dailyshincho.jp/article/2021/04111131/?all=1 2021年4月11日閲覧。 
  5. ^ 番組販売にてテレビ津山飯能ケーブルテレビにて放送

関連項目

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外部リンク

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