長沼城(ながぬまじょう)は、栃木県真岡市長沼にあった日本の城平安時代末期から戦国時代まで存在した。

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長沼城
栃木県
別名 錦着城[1]
城郭構造 平城
築城主 長沼宗政[1]
築城年 1184年(元暦元年)[1]
主な城主 長沼氏[1]
遺構 土塁、堀[1]
位置 北緯36度21分50秒 東経139度56分4秒 / 北緯36.36389度 東経139.93444度 / 36.36389; 139.93444座標: 北緯36度21分50秒 東経139度56分4秒 / 北緯36.36389度 東経139.93444度 / 36.36389; 139.93444
地図
長沼城の位置(栃木県内)
長沼城
長沼城
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概要 編集

平将門の乱を平定した藤原秀郷が下野守に任ぜられ、その子孫の小山氏の一族、小山宗政元暦元年(1184年)に長沼の地に築いた城が長沼城である。

『下野国誌』には「長沼城は芳賀郡長沼郷太田村にあり、長沼五郎左衛門尉宗政はじめて築く、元暦元年甲辰」とある[1]

宗政は長沼姓を名乗った。

その後長沼氏から、その庶流の皆川氏の支配下で戦国時代を迎え、北条氏と争った。

構造 編集

遺構がほとんど残っていないため、詳細な構造は不明である。

遺構 編集

現在はほとんどその形跡が残っていない。城域の跡地は住宅街となっており、わずかに「北門」「西木戸」などの地名にその痕跡が残る程度である。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 児玉幸多 監修坪井清足 監修平井聖 編修村井益男 編修村田修三 編修、峰岸純夫、菊池卓『日本城郭大系 第四巻 茨城 栃木 群馬』新人物往来社、1979年、258頁。ISBN 4404010117 

関連項目 編集