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長瀬 サエコ(ながせ さえこ)は、日本のビューティデザイナー。文化人。マルチアーティスト。

ながせ サエコ
長瀬 サエコ
別名義 ナガセサエコ、永瀬冴子
出生地 日本の旗 日本
身長 166 cm
血液型 A型
職業 ビューティデザイナー
活動期間 1988年 -
活動内容 講演、セミナー、テレビ出演、ラジオ出演
公式サイト Saeko Nagase
主な作品
音楽アルバム
『境界線の向こう側 (ポニーキャニオン)』『肩甲骨スクワットで速攻美やせ(扶桑社)』『スローウォーキング(アスコム)』
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身長166cm。スリーサイズB82cm W58cm H83cm。血液型A型。本名非公開。法政大学経済学部経済学科卒。生島企画室 に長年在籍していたが、2017年9月末日をもって同事務所を離れたことをオフィシャルブログにて報告している。

来歴編集

高校生の頃、知人の勧めでモデル活動をスタートし、CMや雑誌などに出演。ただしこの頃はあくまでも学生生活の合間に行うアルバイト的なものであったという。 その後、1988年、「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格し、デビュー。本格的に活動を始め、幾つかのテレビドラマやCMにも出演する。しかし大学生活との両立がうまくいかず、結果的にアミューズを去ることとなる。

その後数年は女優として活動を行い、連続ドラマのレギュラーや映画にも出演するが、今ひとつ自分の中での模索が広がり続ける。 そんな中、しばらくして、音楽事務所への紹介をきっかけに、アーティストとしての表現に魅了される。ギターも始め、作詞作曲活動も並行して行う。 1998年、写真詩集「孤独の彼方」(シンコーミュージック)発売と同時期に、ポニーキャニオンよりアルバム「境界線の向こう側」でアーティストとしてメジャーデビュー。デビュー前に中野サンプラザで行われた尾崎豊のバースディライブにゲスト出演したという経歴もある。 同時にギターメーカーモーリスと契約を結ぶ。コラム連載やTV、ラジオ出演などを行い、また写真集やDVDのアート&フォトディレクターも手がけるなど、マルチアーティストとして多方面で活動する。

しかしながら、アーティスト活動中に、学生時代の怪我の後遺症や腰の病気の再発のため、療養生活を余儀なくされ、芸能活動は一時中断となる。その中で健康の重要性を再認識し、自らの病気の克服と自然治癒力を高めるため、療養の一方で独自のエクササイズを考案し始める。

復帰後は、さまざまな経験を生かし、エクササイズだけでなく、美容・ライフスタイル・メンタルケア等をトータルにアドバイスする「ビューティ・デザイナー」として活動。タレントやモデルへのアドバイザーとして信頼を得、ビューティデザイナーとして、雑誌やTV・ラジオ出演、コラム執筆など、幅広く活動中。 ストレッチからエクササイズ、食生活やのお手入れ法までキレイなカラダづくりのすべてを指導する「ビューティデザイナー」として、長年続けているフィジカル・トレーニングを生かし、ジムだけでなく、自宅でも出来るエクササイズを自ら考案。数多くのモデルタレントアドバイスを行い、理想のカラダづくりに導いている。

生島企画室に所属後は、アーティスト名をカタカナから『長瀬サエコ』へと変更し活動をしている。

「肩甲骨スクワット」の第一人者としても知られ、「血液型ダイエット」の提唱者でもある。

2014年1月には、No.1通販サイト・ショップチャンネルに登場し、これまでにない素敵なゲストとして注目を浴びる。その際には、今やハリウッドセレブの間でも大人気のココナツウォーターを紹介。中でも100%ストレートピュアのココナツウォーター・アクアココスの商品紹介としてゲスト出演し、一躍ベストセラーになり今でも人気商品となっている。ショップチャンネルでデビューして半年で、GGVというショップチャンネルの特別商品としても紹介された。

2017年9月末日にて数年在籍した生島企画室を離れることをブログで報告。活動の拠点を海外にも移しながら今後も活動を続けることを報告している。

2019年4月 尾崎豊を始めとする昭和歌謡のエンターテイメントバンド「マーヴェリック」を結成。ライブハウス「赤坂ブルームーン」をホームグランドに音楽活動を再開する。

人物編集

もともとは身体が弱く小さい頃から病気を繰り返すほど病弱な子供だったという。 「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格した時の同期には、福山雅治奥貫薫がいた。数年でアミューズを辞めたことなどもあり、あえてこの話は公にしていなかったが、デビューのきっかけを何度も聞かれるうちに有名なオーディションがデビューのきっかけであることだと改めて感じ、話す気になったとの事である。

音楽活動を始めたころ、長瀬サエコの当時のマネージャーが、長瀬が尾崎豊のoh my little girlの歌声を聴き、たぐいまれな表現力を見出し生前の尾崎豊のプロデューサーであった須藤晃氏に映像付きのデモテープを送ったという。その際に「尾崎君にそっくりだ」ということをきっかけに尾崎豊の初のカバーアルバムを発売することになったというエピソードがある。 また同アルバムには当時の尾崎豊のバンドメンバー、アレンジャー担当の西本明氏や町支寛二氏などが全面アレンジャーを担当し、珠玉のアルバムになったという。

長瀬本人は左利きの為、モーリスと契約を結んだ際には、左利き用のアコースティックギターを特注したとのことである。

メジャーデビュー前には長瀬の表現力の豊かさに異例の出演が決まり、結果的には2年連続出場するという異名も持つ。 初回のライブは尾崎の代表曲15の夜の補作詞として「最後の夜」というタイトルで作詞、歌い上げる途中で感きまわり涙を流しながらも最後まで歌い上げたというエピソードもある。

出版物編集

  • 単行本「ナガセ式『肩甲骨スクワット』で[即効]美やせ!」(扶桑社)
  • 写真詩集「孤独の彼方」(シンコー・ミュージック)
  • 絵本「ミミがくれたもの」(新風舎)
  • 絵本「ふしぎなキモチ」(レアルタ)
  • DVD「ナガセサエコのスーパースリム・ダイエット」(アクセス)
  • CD「境界線の向こう側」(ポニー・キャニオン)
  • CD-ROM写真集「Ambitious」(スーパーメディア21)
  • ROM写真集「Bayside Blue」(スーパーメディア21)

外部リンク編集