門田 元弥(かどた もとひさ)は、江戸時代初期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。家格は大組。祖父は毛利輝元の側近を務めた二宮就辰、父は長州藩の大組組頭を務めた門田元経

 
門田元弥
時代 江戸時代初期
生誕 慶長6年(1601年
死没 承応4年11月3日1655年11月30日
別名 通称:久三郎→太郎右衛門尉
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 門田氏
父母 父:門田元経、母:児玉元兼の娘
兄弟 元弥、 女(天野元処室)、元億
女(兼重景経室)、女(繁沢就貞室、杉就之室)
正室:渡辺広の娘
継室:村上元武の娘
就政二宮久辰久重桑原重経、女(市川就貞室)
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生涯 編集

慶長6年(1601年)、毛利氏家臣である門田元経の嫡男として生まれる。

元和4年(1618年9月22日毛利輝元加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元弥」と名乗った。寛永6年(1629年1月11日には、祖父・二宮就辰や父・元経と同様に「太郎右衛門尉」の官途名毛利秀就から与えられた。

慶安3年(1650年12月30日に父・元経が死去し、その後を継いで大組の組頭[1]を務めたが、承応4年(1655年11月3日に死去。享年55。嫡男の就政が後を継いだ。

なお、萩城下の市街地には子孫の屋敷跡の長屋門が現存している。

脚注 編集

  1. ^ 父・元経が組頭に就任した頃の大組の組数は6組であったが、元弥の時には8組へと増えている。

参考文献 編集