陳煥章
陳 煥章(ちん かんしょう)は清末民初の思想家、社会活動家。儒教を宗教とみなす孔教の信奉者。字は重遠。
陳煥章 | |
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プロフィール | |
出生: | 1881年(清光緒7年) |
死去: |
1933年(民国22年)12月 イギリス領香港 |
出身地: | 清広東省肇慶府高要県硯洲 |
職業: | 思想家・社会活動家 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳煥章 |
簡体字: | 陈煥章 |
拼音: | Chén Huànzhāng |
ラテン字: | Ch'en Huan-chang |
和名表記: | ちん かんしょう |
発音転記: | チェン フアンジャン |
15歳で広州の万木草堂に入学し、康有為に師事した。1903年、挙人となる。1905年にアメリカに留学し、1911年にコロンビア大学で哲学博士の学位を得た。1912年に帰国して上海に「孔教会」を創設し、康有為が会長となり、陳煥章は総幹事となった。1913年、袁世凱より大総統府顧問として招かれて北京に赴き、厳復や梁啓超らとともに孔教を国教とする運動を展開した。1915年、袁世凱の帝政に反対して故郷に帰った。1930年、香港に「孔教学院」を創設し、院長となった。