剣州(劍州、けんしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から民国初年にかけて、現在の四川省広元市一帯に設置された。

概要

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618年武徳元年)、唐により普安郡始州と改められた。713年先天2年)、始州は剣州と改称された。742年天宝元年)、剣州は普安郡と改められた。758年乾元元年)、普安郡は剣州の称にもどされた。剣州は剣南道に属し、普安永帰臨津黄安武連剣門陰平梓潼の8県を管轄した[1]

のとき、剣州は利州路に属した。1190年紹熙元年)、剣州は隆慶府と改称された。隆慶府は普安・普成・武連・剣門・陰平・梓潼の6県を管轄した[2]

1283年至元20年)、により隆慶府は剣州の称にもどされた。剣州は広元路に属し、普安・梓潼の2県を管轄した[3]

1373年洪武6年)、により州治の普安県が廃止され、剣州は保寧府に属した。1376年(洪武9年)、剣州は廃止された。1380年(洪武13年)、剣州が再び置かれた。剣州は梓潼県1県を管轄した[4]

のとき、引き続いて剣州は保寧府に属した。1727年雍正5年)、梓潼県が綿州直隷州の属県に改められたため、剣州の属県はなくなった[5]

1912年中華民国により剣州は廃止され、剣閣県と改められた。

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志五
  3. ^ 元史』地理志三
  4. ^ 明史』地理志四
  5. ^ 清史稿』地理志十六