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雷電神社(らいでんじんじゃ)は、群馬県邑楽郡板倉町板倉にある神社。主に関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社格であるが、他の雷電神社と区別する意味で板倉雷電神社(いたくららいでんじんじゃ)とも呼ばれる。現在の主祭神は、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、大雷大神(おおいかづちのおおかみ)、別雷大神(わけいかづちのおおかみ)の三柱。茨城県水戸市の別雷皇太神、同県つくば市金村別雷神社と並ぶ関東三雷神の1社とされる[1]

雷電神社
本社社殿(奥社と末社は境内裏手)
所在地 群馬県邑楽郡板倉町板倉2334
位置 北緯36度13分39.29秒
東経139度36分28.06秒
座標: 北緯36度13分39.29秒 東経139度36分28.06秒
主祭神 火雷大神
大雷大神
別雷大神
社格 旧郷社
創建 (伝)推古天皇6年(598年
別名 板倉雷電神社
例祭 5月1日~5日
地図
雷電神社の位置(群馬県内)
雷電神社
雷電神社
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本社社殿(2012年8月)
別棟(2012年8月)

概要編集

創建は社伝によると推古天皇6年(598年)で、当時は伊奈良(いなら) の沼と呼ばれる湿地に浮かぶ小であったこの地に、聖徳太子の声を聞き、祠(ほこら)を設けてその神を祀ったものとされている(ただし、これを後世の付会であるとする説もある)。

古くからの被害が多い土地であり、また暴れで度々流路を変えた渡良瀬川利根川との間にあって度々火災水害に見舞われたが、延宝2年(1674年)、当地を治めていた館林藩藩主であった徳川綱吉が本社社殿を再建し(社殿に徳川家の三ツ葉葵の紋章を使うことを許された)、後に彼が長じて徳川幕府の第5代将軍となるに及んで、次第に繁栄するようになった。現在の本社社殿は天保6年(1835年)、奥社社殿は慶応4年(1868年)の造営である。本社社殿には左甚五郎から10代目の石原常八の作とされる彫刻が廻らされている。

明治時代郷社に列せられ、第二次世界大戦後に宗教法人化された。今日では雷除けはもとより、氷嵐除けや豊作祈願、厄除けや安全、特に電気関係をはじめとする諸工事の安全の神として名高い。また、毎年大型連休中の例祭や、春の蝋(ろうばい)および椿が美しい神社としても名高い。例祭以外にも主に企業関係者による安全祈願や商売繁盛の祈祷の依頼が多く、5月中旬から初秋までの雷雨の季節を中心に頻繁に行われている。

当社にまつわる伝承編集

  • 延暦20年(801年)、東征した坂上田村麻呂が社殿を造営したところ、その宮祭の夜、境内にあったの木の梢に沼の中から灯が上ってきて闇を照らした、とされる。現在境内東側にて枯れて幹の一部から下のみを残す「龍灯の杉」に纏わる伝説として語り継がれる。
  • 本社社殿裏手にある奥社には伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が祀られ、家内円満・子授け・安産・縁結びなどを叶える女神とされている。
  • 境内裏手の別棟に置かれている鯰(ナマズ)の石像は「なまずさん」と呼ばれ、撫でると地震を除け、元気回復・視力改善・自信が湧き出る、などのご利益があると云われる。また、門前では鯰料理が名物となっている。
  • 境内にある椿の庭には福禄寿(ふくろくじゅ)の石像があり、3つの幸せ(子孫繁栄・財産富裕・不老長寿)を授けるとされる。

郷土料理編集

郷土料理として、ナマズ料理が有名。

文化財編集

重要文化財
  • 末社・八幡宮稲荷神社社殿(境内裏手にある、室町時代建立の群馬県最古の神社建築)
群馬県指定重要文化財
  • 本社社殿
  • 奥社社殿

脚注編集

  1. ^ つくば市教育委員会 編(2009):12ページ

参考文献編集

  • つくば市教育委員会 編『つくば市の文化財 2009年版』つくば市、2009年、125pp.

関連項目編集

外部リンク編集