韓徳勤
韓 徳勤(かん とくきん)は中華民国(台湾)の軍人。国民革命軍の軍人で顧祝同の腹心と目され、北伐、中国共産党討伐、日中戦争、国共内戦などで前線指揮をとった。字は楚箴。
韓徳勤 | |
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プロフィール | |
出生: |
1892年10月8日 (清光緒18年8月18日)[1] |
死去: |
1988年(民国77年)8月15日 台湾台北市 |
出身地: | 清江蘇省淮安府桃源県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 韓德勤 |
簡体字: | 韩德勤 |
拼音: | Hán Déqín |
ラテン字: | Han To-ch'in |
和名表記: | かん とくきん |
発音転記: | ハン ドゥーチン |
事跡
編集顧祝同の腹心
編集1909年(宣統元年)、江蘇陸軍小学第4期生として入学する。1911年(宣統3年)、辛亥革命が勃発すると、革命派の北伐軍先遣支隊司令部に配属され、後に爆弾隊(炸爆隊)隊員となっている。中華民国成立後に復学・卒業、さらに武昌陸軍第2予備学校に進学し、1916年(民国5年)にこれを卒業した。その翌年には保定陸軍軍官学校へ進学し、1919年(民国8年)2月に第6期歩兵科を卒業している。[2][3][4]
卒業後の当初は北京政府側の長江上遊総司令部に所属したが、1926年(民国15年)に広東省へ赴いて国民革命軍に属した。北伐に際して韓は国民革命軍第3師上校参謀長に任ぜられ、以後、同師師長顧祝同の腹心と目されるようになる。韓はその後も第9軍少将参謀長、第3師副師長と歴任し、北伐に従軍した。北伐完了後の軍縮に伴い第2師第5旅副旅長へ移ったが、まもなく第3師第7旅旅長に転じる。中原大戦が勃発した1930年(民国19年)までに、新編第3旅旅長、第52師副師長、同師師長と昇進した。[2][3][5]
紅軍掃討、日中戦争前期
編集1931年(民国20年)1月、韓徳勤は南昌衛戍司令を兼任し、江西省で第3次中国共産党討伐に従事したが、敗戦の末に一時は捕虜とされ、辛うじて脱走するなどした。しかしその後も共産党包囲に従事するため、江蘇省政府委員、同省保安処処長、贛粤閩湘鄂剿匪軍北路軍総司令部総参議を歴任している。1935年(民国24年)7月、長征に出た紅軍追撃のため貴州省政府委員に転じ、11月、軍事委員会委員長重慶行営弁公庁庁長を兼ねた。[2][3][6]
1937年(民国26年)初、韓徳勤は顧祝同が主任を務める西安行営で弁公庁庁長に就任した。同年8月、日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、顧と共に上海方面の前線に赴き、顧は第3戦区副司令長官に、韓は同部参謀長にそれぞれ転じている。11月、江蘇省政府の改組に伴い、顧は江蘇省政府主席、韓は省政府民政庁庁長にそれぞれ就任したが、韓が主席代理を務めた。翌1938年(民国27年)1月、第24集団軍副総司令兼第89軍軍長として江蘇省北部の防衛に当たる。[2][3][7]
日中戦争後期から国共内戦、晩年
編集1939年(民国28年)初に、魯蘇戦区が成立し、韓徳勤は同戦区副総司令となった。10月、顧祝同の後任として、韓は正式に江蘇省政府主席兼全省保安司令に就任している。1940年(民国29年)、第2次国共合作の最中でありながら、韓は自らの後任として第89軍軍長となっていた李守維に命じ新四軍を密かに攻撃させた。しかし新四軍の反撃の前に大敗、李が戦死するという結果に終わっている。その後も度々共産党に戦闘を仕掛けては敗北し、1943年(民国32年)3月には陳毅に大敗、韓自身が捕虜とされる有様であった(まもなく韓は陳の判断で釈放された)。[8]1945年(民国34年)1月、韓は江蘇省政府主席の地位から免ぜられ、第3戦区副司令長官に転じた。[2][3][9]
国共内戦期に入った1946年(民国35年)6月、韓徳勤は徐州綏靖公署副主任に任ぜられ、翌年、陸軍総司令部徐州司令部(後に剿匪総司令部と改組)副総司令となった。しかし内戦では中国人民解放軍に敗退し、1949年(民国38年)5月、台湾に逃れている。台湾では中華民国総統府戦略顧問を務め、1952年(民国41年)10月に退役した。晩年は教育・社会事業に従事している。1988年(民国77年)8月15日、台北市にて病没。享年97(満95歳)。[2][10][11]
注
編集参考文献
編集- 李直「韓徳勤」『民国高級将領列伝 5』解放軍出版社、1999年。ISBN 7-5065-1494-X。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
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