高 亮(こう りょう、生没年不詳)は、中国北斉皇族。襄城王。孝昭帝高演の庶出長男。母は桑氏[1][2]は彦道[3][4][5]

経歴 編集

襄城王高淯の後を嗣いだ。徐州刺史となったが、商人の財物を奪った罪で免官された。武平7年(576年)、後主北周武帝の軍に敗れてに撤退すると、高亮も後主に従って鄴に入った。太尉太傅の位に転じた。北周軍が鄴を攻撃すると、高亮は啓夏門で防戦にあたった。北斉の諸軍はみな戦わずして敗れ、北周軍は諸城門から入城したので、高亮の軍も敗走した。高亮は馬のまま太廟に入ると、慟哭して祖先に謝罪し、その後に北周軍に捕らえられた。関中に入ると、儀同の位を受け、辺境に流されて、龍州で死去した[6][4][5]

脚注 編集

  1. ^ 北斉書 1972, p. 158.
  2. ^ 北史 1974, p. 1886.
  3. ^ 氣賀澤 2021, p. 164.
  4. ^ a b 北斉書 1972, p. 137.
  5. ^ a b 北史 1974, p. 1865.
  6. ^ 氣賀澤 2021, pp. 164–165.

伝記資料 編集

参考文献 編集

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4