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高山寺(こうざんじ)は、和歌山県田辺市にある真言宗御室派寺院本尊大日如来

高山寺
所在地 和歌山県田辺市稲成町392
位置 北緯33度44分25.3秒
東経135度22分44.7秒
座標: 北緯33度44分25.3秒 東経135度22分44.7秒
山号 正南面山
宗派 真言宗御室派
本尊 大日如来
創建年 飛鳥時代
開基 牟婁の長者
中興 空増上人
正式名 正南面山高山寺
別称 田辺大師・厄除け大師
札所等 紀伊之国十三仏霊場第12番
近西国三十三ヶ所南紀霊場第4番
文化財 木造聖徳太子孝養像・寒山拾得図・柳に烏図(県指定文化財)・大般若波羅蜜多経(市指定文化財)
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目次

歴史編集

寺伝によると推古天皇の時代に、熊野国牟婁郡に住んでいた牟婁の長者と呼ばれる金持ちが飛鳥に出かけ、そこで摂政をしていた上宮太子(聖徳太子)に感動し、太子の御意を得て私財をもって当地南面山に勧修問寺を建立した。そして、上宮太子の愛馬である「烏の駒」(くろのこま)が薬師如来像と上宮太子(聖徳太子)像を背負ってここにやってくる夢を見、目覚めたところ、薬師如来像と上宮太子が置かれてあったので、それを祀ったという。

平安時代弘仁7年(816年)初夏、弘法大師空海が熊野巡錫の途中にこの地に立ち寄った。その際、この地で密教の法を修し、また旅に出ようとしたところ人々に引き留められ、それにほだされて空海は自らの像を彫ってここに安置したとされる。

戦国時代天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州征伐を受けて伽藍は全焼した。しかし、上宮太子像と弘法大師像は伊作田の岩窟に匿って無事であった。しばらくしてから高野山の僧である空増が入寺し、伽藍を復興する。これによって空増は中興開山第一世法印空増上人と呼ばれるようになるが、以後もこれに倣って高山寺の主管職は第何世法印と呼ばれるようになった。

江戸時代になって名称が興山寺になるが、更に現在の高山寺と変更された。

南方熊楠植芝盛平の墓がある。

伽藍編集

文化財編集

県指定文化財
市指定文化財

参考文献編集

  • 高山寺の由来

関連項目編集

外部リンク編集