高木健太郎

高木 健太郎(たかぎ けんたろう、1910年3月17日 - 1990年9月24日)は、日本の医学者で参議院任期中に亡くなった。生理学の世界的権威。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。参議院議員 1980年-1990年 (2期)。

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経歴編集

九州帝国大学医学部教授高木繁の長男として、福岡市に生まれる。下山順一郎の孫にあたる。福岡県中学修猷館旧制福岡高等学校を経て、1934年、九州帝国大学医学部を卒業する。

九州帝国大学医学部助手を経て、1939年2月、新潟医科大学(現・新潟大学医学部)に迎えられ助教授に就任。1940年、九州帝国大学に論文「蟇血液限外濾液の骨格筋疲労に及す影響」を提出し、医学博士号を授与される[1]。 その後、1945年5月、新潟医科大学教授、1949年5月、新潟大学医学部教授、1955年2月、名古屋大学医学部教授、1969年、名古屋大学医学部長に就任。その間、1965年には、高所医学研究のための、南米アンデス山脈アコンカグア遠征の隊長を務めている。1972年、日本学術会議会員となり、8月に名古屋市立大学学長に就任。1977年、公立大学協会会長に選任される。

1980年、推されて第12回参議院議員選挙愛知県地方区より無所属で立候補し当選を果たす。公明党・国民会議に参加する。以後当選2回。1983年、参議院科学技術特別委員長、1985年、生命倫理研究議員連盟事務局長などを務める。生命倫理研究議員連盟では、臓器移植について積極的推進の立場に立ちながらも、生命の尊厳を取り巻く諸問題に対しては、医学のみならず、宗教、哲学、経済、法学等幅広い分野の頭脳を結集して論議を進めるべきであることを早くから提唱した。

汗の研究、体温調節研究の世界的権威であり、「圧反射現象」(皮膚を圧迫するとその側の身体半側に発汗の抑制が発生する現象、「半側発汗」とも呼ばれる)を発見したことで知られている。また、鍼灸医学の研究のため再三中国を訪問し、西洋医学と東洋医学の交流に貢献しており、1980年、全日本鍼灸学会を設立し初代会長に就任。後に世界鍼灸学会連合会の名誉会長となる。

朝日科学奨励賞(1959年)、中日文化賞(1967年)[2]紫綬褒章(1974年)、全米医学教育学会賞(1979年)などを受賞している。

参議院議員在職中の1990年9月24日、膵臓原発肝転移癌のため死去。没後、従三位勲二等に叙せられ、旭日重光章を受章。同年10月12日の参議院本会議場で行われた下稲葉耕吉哀悼演説によると、遺体は献体に付されたという。

主な著作編集

医学編集

  • 『生体の調節機能―ハリの原理をさぐる』、(中公新書、1972年)

随筆編集

  • 『ふれあい―生理学随想』、(健友社、1980年)

脚注編集

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  1. ^ 博士論文書誌データベース
  2. ^ 中日文化賞:第11回-第20回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月31日閲覧。