高橋勘二
高橋 勘二(たかはし かんじ、1885年(明治18年)7月28日[1] - 1936年(昭和11年)4月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
高橋 勘二 | |
---|---|
生誕 |
1885年7月28日 日本 東京府 |
死没 | 1936年4月15日(50歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1905年 - 1935年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1885年(明治18年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第25期卒業[1]。スイス駐在を経て[2]、1929年(昭和4年)3月16日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍技術本部附となり[2]、8月1日にオーストリア在勤帝国公使館附武官兼ハンガリー在勤帝国公使館附武官に任命された[3]。1931年(昭和6年)6月11日に参謀本部附となり[2]、8月1日に歩兵第15連隊長に就任し[2]、1932年(昭和7年)5月に留守第14師団司令部附となった[2][4]。
1933年(昭和8年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、対馬要塞司令官に着任[1]。1934年(昭和9年)12月に第12師団司令部附となり[1]、1935年(昭和10年)8月1日に待命[1]、8月28日に予備役に編入された[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。