高石幸三郎

日本の実業家、政治家

高石 幸三郎(たかいし こうざぶろう、1898年明治31年)8月4日[1] - 1986年昭和61年)1月28日[1][2])は、日本の実業家政治家衆議院議員埼玉県川口市長(第4代・第7代)。

高石幸三郎
たかいし こうざぶろう
生年月日 1898年8月4日
出生地 日本の旗 日本 埼玉県北足立郡川口町
(現・埼玉県川口市
没年月日 (1986-01-28) 1986年1月28日(87歳没)
出身校 中央大学経済科卒業
前職 実業家
所属政党 自由民主党

選挙区 旧埼玉1区
当選回数 1回
在任期間 1958年5月22日 - 1960年10月24日

在任期間 1938年4月28日 - 1947年1月15日
1953年2月20日 - 1957年2月19日


川口市会議員
在任期間 1933年 - ?
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経歴

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埼玉県北足立郡川口町(現:川口市[1]で、鋳物商・高石喜太郎、きの夫妻の三男として生まれる[3]1918年[注 1]中央大学経済科を卒業し[1][2]、実家の高石喜太郎商店を継承した[1]

三協鋳造取締役会長、埼玉燃料取締役社長、高石本店会長、関東銑鉄取締役などを務めた[1][2]

1933年、川口市会議員となり、同議長も務めた[1][2]1938年4月28日、第4代川口市長に就任し、1947年1月15日まで在任[4]。この間、第1回市民体育大会の開催、下水道第1期事業の着手、戦時下の対応、戦災の復興に尽力し、全国市長会幹事、川口国民健康保険組合理事長を務めた[4]。その後、公職追放となり[5]、追放解除後の1953年2月20日、再度川口市長(第7代)に就任し、市政施行20周年記念行事の実施、身体障害者福祉会の設立、中小企業融資促進資金制度の発足などに取組み、川口市農業委員会会長、埼玉県農業会議会長、同社会福祉協議会会長などを務め、1957年2月19日に退任した[6]

1958年5月、第28回衆議院議員総選挙埼玉県第一区自由民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1][2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『全国市長銘鑑』34頁では大正8年(1919年)6月。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『埼玉人物事典』474頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』369-370頁。
  3. ^ 『人事興信録』第14版 下、タ88頁。
  4. ^ a b 『日本の歴代市長』第1巻、701頁。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、625頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、703頁。

参考文献

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  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。


公職
先代
永瀬寅吉
田中徳兵衛
 埼玉県川口市長
1938年 - 1947年
1953年 - 1957年
次代
大泉寛三
大野元美