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鷹巣城(たかのすじょう)は、美作国(現・岡山県美作市巨勢)にあった日本の城

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鷹巣城
岡山県
鷹巣城の本丸跡
鷹巣城の本丸跡
別名 鷹巣城
遺構 石垣、堀切、石橋、土橋、切岸

目次

概要編集

標高327ートルに位置する山城である。山頂に主郭が存在した。現在は主郭跡、のろし台跡、堀切が残る。宇喜多直家の美作侵攻に対して三星城の前哨基地として築かれたが、天正7年(1579年)の攻防戦で陥落した。

鷹巣城の攻防戦編集

美作国に侵攻した宇喜多勢は天正7年の春、海田村の鷹巣城の攻城にとりかかった。対する鷹巣城には、倉敷城主・江見市之丞矢櫃城主・江見次郎の兄弟が入り、以下城兵300人余りが充てられた。

宇喜多の軍勢を迎え撃つため、防衛側は城へ上る坂道に竹の皮を敷き詰め、敵兵が容易に城に攻め上れないようしたが、宇喜多軍は懐柔した近隣の百姓たちに、竹の皮に火を放たせてから城に攻め入った。城は火に包まれ、城兵たちは善戦したがやむなく城から敵の中に打って出た。

この時、江見の重臣である清水帯刀が、宇喜多家中の池土佐守に討たれて首を取られたが、駆けつけた清水の家来広田七兵衛が逆に池土佐守に切りかかり組打った。

城将である江見兄弟は海田村卒塔婆先で討ち死にするが、城兵隊も宇喜多勢に追われながら攻防を繰り返し、海田村は激戦地となった。この戦いで城の近くに49あったと言われる大山も焼き尽くされた。

画像編集

参考文献編集

関連項目編集