黒川調査団(くろかわちょうさだん)は、1963年ばい煙の排出の規制等に関する法律(ばい煙規制法)の指定地域に三重県四日市市を適用されるための基礎資料を得ることを目的に、厚生省および通商産業省(通産省)からの委嘱により派遣された調査団および東駿河湾地区石油コンビナートによる公害の心配を払拭するために政府より編成された調査団。本調査団は団長の名前から黒川調査団と呼ばれている。

概要

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四日市地区大気汚染特別調査会

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ばい煙規制法は、ばい煙による汚染の著しい地域またはそのおそれのある地域を指定地域とし、様々な規制をかける法律である[1]。その法律の第一次指定地域には京浜阪神北九州が指定されていたが、四日市コンビナートのある三重県四日市市は指定されていなかった[2]。四日市市ではばい煙による局地的な公害が深刻化しており、三重県と四日市市が四日市市の法律の適用地域に指定されることを強く要望していた[3]。その要望により1963年9月通商産業省の外局である工業技術院(現在の産業技術総合研究所)院長の黒川真武を団長とした「四日市地区大気汚染特別調査会」が発足した。

1963年11月に調査団による四日市市での各専門分野からの多角的総合的な調査が実施された[4]。調査団の報告書は四日市市の大気汚染を防止するための対策として、排出基準の強化と処理施設の設置、都市計画の再検討、住宅地帯の分離、緑地帯の設置、住居の集団移転、被害者治療施設の設置、公害防止施設整備資金についての助成措置などの諸点について勧告するとともに、今後の他地域での工業立地に際しては、立地計画段階での公害の未然防止のための強力な行政指導、公害対策を折り込んだ合理的な都市計画の策定、防除技術の開発研究の促進などの必要性などの10項目の勧告がなされ企業、行政などが実施すべき公害防止対策が示された[3][4]。この調査は四日市市のみならず、その後の大規模な工業立地に際しての総合的な公害対策の基本方向を示す点で大きな影響を与え、国、地方公共団体等において、各種の専門家による総合的な調査が実施される事例が増加していった。また、硫黄酸化物一酸化炭素等による大気汚染の各種影響調査も盛んに行なわれるようになった[4]

沼津・三島地区産業公害調査団

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静岡県三島市沼津市駿東郡清水町では1963年末に国から東駿河湾地区工業整備特別地域に指定され、四日市コンビナートを上回る石油コンビナート建設が計画された[5][6]。だが水不足二酸化硫黄の影響などの様々な問題があり2市1町では石油コンビナート反対闘争が広がっていた[5]。反対闘争に対して政府が黒川を団長とした「沼津・三島地区産業公害調査団」を編成した。調査団はヘリコプターを飛ばし、風洞実験をおこなうなどの調査をした後、事前に措置を講ずれば公害は防除しうると結果を発表した。だが住民の反対が強く石油コンビナートの建設計画は撤回された[7]

脚注

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  1. ^ ばい煙規制法”. 一般財団法人環境イノベーション情報機構. 2024年1月10日閲覧。
  2. ^ 高橋光男 (1972). “大気汚染防止法の背景と要点”. 環境技術 (環境技術学会) 1 (2): 161-166. doi:10.5956/jriet.1.161. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jriet1972/1/2/1_2_161/_pdf/-char/ja 2024年1月10日閲覧。. 
  3. ^ a b 四日市公害のあらまし”. 四日市市. 2024年5月31日閲覧。
  4. ^ a b c 環境白書”. 環境省. 2024年5月31日閲覧。
  5. ^ a b 石油コンビナート反対闘争”. 三島市. 2024年5月31日閲覧。
  6. ^ コンビナートに反対する 住民のエネルギーに驚いた”. NHK. 2024年5月31日閲覧。
  7. ^ (第312号)住民学習が原動力 石油コンビナート反対運動 (平成26年5月1日号)”. 三島市. 2024年5月31日閲覧。

関連項目

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