黒木 貞男(くろき さだお、1935年4月24日 - 1981年5月18日[1])は、宮崎県[1]出身のプロ野球選手1956年の登録名は黒木 貞夫。

黒木 貞男
1955年ごろ撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県
生年月日 (1935-04-24) 1935年4月24日
没年月日 (1981-05-18) 1981年5月18日(46歳没)
身長
体重
171 cm
62 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • リッカーミシン

経歴

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高鍋高校から門司鉄道管理局を経て1955年南海ホークスへ入団[1]

1956年に退団し、翌年からリッカーミシンでプレー。1959年都市対抗野球では補強選手の堀本律雄の後を受けて登板し、無失点に抑えるも初戦敗退。翌年の都市対抗では1回戦に先発して7回を投げると補強の妻島芳郎に繋いで勝利したが2回戦も7回無失点で妻島が後を受けたが敗れた。当時の主軸に長田幸雄がいた。後に監督へ就任した[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1955 南海 10 3 1 0 1 2 1 -- -- .667 138 34.0 24 1 11 0 2 15 0 0 13 13 3.44 1.03
1956 5 2 1 1 0 1 0 -- -- 1.000 89 22.0 16 0 8 0 1 10 0 0 7 2 0.82 1.09
通算:2年 15 5 2 1 1 3 1 -- -- .750 227 56.0 40 1 19 0 3 25 0 0 20 15 2.41 1.05

背番号

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  • 52 (1955年 - 1956年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、206ページ

関連項目

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外部リンク

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