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C・ダグラス・ディロン

アメリカ合衆国の政治家、外交官
C・ダグラス・ディロン

クラレンス・ダグラス・ディロンClarence Douglas Dillon, 1909年8月21日 - 2003年1月10日)は、アメリカ合衆国政治家外交官である。1953年から57年まで駐仏大使、1961年から65年まで第57代財務長官を務めた。彼はまたキューバ危機における国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)の重要なメンバーであった。

生涯編集

ディロンはクラレンス・ディロンとアン(ダグラス)・ディロン夫妻の間に生まれた。祖父のラポウスキーはポーランドからの貧しい移民(ポーランド系ユダヤ人)で、1891年にアメリカ市民権を得た。そして、 1901年にその姓名をサム・ラポウスキーからサミュエル・ディロンへと改名している。母親のアン・ダグラスはスコットランドの家系であった。

彼は第二次世界大戦中にアメリカ海軍で勤務している。

ディロンは民主党ジョン・F・ケネディ大統領から財務長官に任命されたが、彼自身は共和党員であった。彼の政策は強固な景気拡大であり、リンドン・ジョンソン大統領はケネディ暗殺後も彼をその職に留めた。

彼はその後父親のクラレンス・ディロンと共に共同設立したディロン・リード&カンパニー (Dillon, Read & Co.) の副社長、社長、取締役会長を務めた。

ディロンはニューヨークメトロポリタン美術館の館長を務め、中国ギャラリーを設立した。また美術館に個人的に2,000万ドルを寄付し、さらに1億ドルを集めた募金の指揮を行った。

彼は1989年に大統領自由勲章を受章している。

ディロンは2番目の妻と2人の娘がおり、余生をコネティカット州フェアフィールドで過ごした。

関連項目編集

外部リンク編集