Hollywood Dream
『ハリウッド・ドリーム』(Hollywood Dream)は、イングランドのロック・バンドであるサンダークラップ・ニューマンが1969年に発表したデビュー・アルバムである。彼等の唯一のスタジオ・アルバムでもある。
『ハリウッド・ドリーム』 | |
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サンダークラップ・ニューマン の スタジオ・アルバム | |
リリース | |
録音 |
1969年 IBCスタジオ、ロンドン |
ジャンル | サイケデリック・ロック |
レーベル | トラック・レコード |
プロデュース | ピート・タウンゼント |
専門評論家によるレビュー | |
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レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
解説
編集経緯
編集サンダークラップ・ニューマンは1969年、ジョン・"スピーディ"・キーン[注釈 1](ボーカル、ドラムス、ギター)、アンディ・"サンダークラップ"・ニューマン[注釈 2](ピアノ)、ジミー・マカロック(ギター)の3人で結成された。彼等はザ・フーのピート・タウンゼントからトゥイッケナムにあった彼のホーム・スタジオを提供されて、キーン作の「サムシング・イン・ジ・エアー」を録音した。タウンゼントはベーシストとプロデューサーを務めた[1]。
「サムシング・イン・ジ・エアー」はザ・フーのマネージャーであるキット・ランバートが所有するトラック・レコード[注釈 3]から同年5月にシングルとして発表され[2][注釈 4]、7月に全英シングルチャートにおいて3週連続1位を記録するヒット曲になった。アメリカでも11月1日付のビルボード・Hot 100で37位を記録した。
彼等は同年、引き続いてタウンゼントをプロデューサーとベーシストに迎えて、IBCスタジオとタウンゼントのホーム・スタジオで本作を制作して、翌1970年にトラック・レコードから発表した[注釈 4]。
内容
編集「ハリウッド・ドリーム」は、マカロックと彼の兄でドラマーであるジャック・マカロック[3]との共作である。
収録曲から、「アクシデンツ」、「ザ・リーズン」、「ワイルド・カントリー」の3曲がシングル・カットされた[4][5][6]。
追記
編集収録曲
編集特筆しない限り、ジョン・キーンによる作詞作曲。
- A面
- "Hollywood #1"「ハリウッド#1」– 3:20
- "The Reason"「ザ・リーズン」– 4:05
- "Open the Door, Homer"「オープン・ザ・ドアー・ホーマー」 (Bob Dylan) – 3:00
- "Look Around"「ルック・アラウンド」– 2:59
- "Accidents"「アクシデンツ」– 9:40
- B面
- "Wild Country"「ワイルド・カントリー」– 4:14
- "When I Think"「ホエン・アイ・シンク」– 3:06
- "The Old Cornmill"「オールド・コーンミル」– 3:58
- "I Don't Know"「アイ・ドント・ノウ」– 3:44
- "Hollywood Dream" (Instrumental) 「ハリウッド・ドリーム」(Jack McCulloch, Jimmy McCulloch) – 3:06
- "Hollywood #2"「ハリウッド#2」– 2:54
- "|Something in the Air"「サムシング・イン・ジ・エアー」– 3:54
参加者
編集- サンダークラップ・ニューマン
- ジョン・"スピーディ"・キーン – リードボーカル、ドラムス、パーカッション、アコースティックギター、コンガ、グロッケンシュピール、ゴング、マラカス
- アンディ・ニューマン – ピアノ、オルガン、ソプラノ・サクソフォーン、ベースサ・サクソフォーン、オーボエ、ブリキ笛、グロッケンシュピール、コーアングレ、ベンガル・フルート、日本のバトル・シンバル、ハンドベル、インドのフィンガーシンバル、そりの鐘、中国のテンプルブロック、ボーカル
- ジミー・マカロック – アコースティック・ギター、エレクトリック・ギター、マラカス、ウッドブロック、バッキング・ボーカル
- その他の演奏者
- ピート・タウンゼント[注釈 4] [8] – ベース、プロデューサー
- クリストファー・モルフェ – ハーモニカ(4、5)
- イアン・グリーン – ストリングス・アレンジメント(7)
- 制作
- グラハム・ヒューズ[9][注釈 5] – カバー・アート
- クリス・モルフェ – アルバム内写真
- クリス・スタンプ[注釈 6] – スペシャル・サンクス
- ビル・レベンソン – CDリイシュー制作
- デニス・ドレイク – PolyGramStudiosでのCDリイシューマスタリング
脚注
編集注釈
編集- ^ キーンはザ・フーのピート・タウンゼントの友人で、彼が作詞作曲した「アルメニアの空」(Armenia City in the Sky)は、ザ・フーのアルバム『セル・アウト』(1967年)で取り上げられていた。
- ^ タウンゼンドのイーリング・アート・カレッジ時代の友人で、ジャズ・ピアニストだった。
- ^ ザ・フーのマネージャーであったランバートとクリス・スタンプが1966年に設立したレコード会社。ザ・フー、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン、ゴールデン・イヤリングらが在籍した。
- ^ a b c タウンゼントはBijou Drainsという変名でクレジットされた。
- ^ ザ・フーのロジャー・ダルトリーの従兄弟にあたる写真家。
- ^ ランバートと共同でザ・フーのマネージャーを務めた。またランバートと共にトラック・レコードの設立者でもある。
出典
編集引用文献
編集- Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. London: Virgin Books. ISBN 978-0-7535-1217-3