Wikipedia:井戸端/subj/「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについて

「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについて 編集

ノート:南京事件 (1937年)のローカルルールについて、皆さんのご意見をいただきたいと思います。(ノート:南京事件 (1937年)の他に、ノート:南京大虐殺論争ノート:百人斬り競争ノート:燼滅作戦ノート:B'zノート:盧溝橋事件にも同様のローカルルールが存在し、これらのページに共通する問題と思われるので、こちらで問題提起します)

上記の一連の記事のノートには、以下のようなローカルルールが存在します。

この記事「○○○○」では、本文を編集するにあたりローカルルールを適用することで合意を得ました。編集する際には、以下のルールを守るようにお願いします。
  1. 記事を編集する場合は、ノートにおいて問題を提起し合意を得ること(合意に関しては、「合意の基準と方法」を参照)
  2. ノートにおいて合意を得ずに記事を編集し、その内容をリバートされた場合、編集した者がノートにおいて合意を得る責任を負う 。ただし、編集して3日の間リバートされなければ、編集した内容に合意したものと見なす。
  3. 第1項、第2項における責任を果たさずに編集を強行した場合は、編集者の会話ページにおいて、本ルールの趣旨を説明し実行すること、及び自主的にリバートを実行することを勧告する
  4. 第3項の勧告を無視し編集を強行した場合は、対話の姿勢がないものとみなし、同編集者の投稿ブロック(最初は24時間)を要請する

合意の基準と方法

  1. 最初の問題提起から3日間、異論がない場合は合意されたものとみなす。
  2. 問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。
  3. 最初の異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。
  4. コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。

一見して「合意の基準と方法」の部分に規定されている「7日間」の期間設定が非常に短いことが目を引くと思いますが、利用者:PSIAさんによれば、これらは「合意を得るための期限」を設けたものであり、「一週間で議論がまとまらない場合は終了ってこと」、あるいは「議論は継続してもかまいませんが、期限内の合意ができなかったのですから編集は無理」ということなのだそうです[1][2]。要するに、最大でも7日間×3ステップ=21日で議論をまとめないといけないということで、ちょっと複雑な問題だと(特に週末編集者などにとっては)ほとんど絶望的な条件といえます。

おそらく当初は荒らし対策として合意されたルールなのだと思いますが、慎重にゆっくり議論すべき問題が発生した場合などには、却って問題解決を阻害する結果になっているように思います。実際、ノート:南京事件 (1937年)の議論をフォローしていて、私としてはWP:IARがほとんど口から出そうになっているのですが、皆さんは上記ルールについてどのような思われるでしょうか?--Dwy 2011年8月22日 (月) 17:39 (UTC)(同様のローカルルールがあるページとしてノート:盧溝橋事件を追加--Dwy 2011年8月24日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

コメント 編集

  コメントローカルルールが不適切で不要と思うのなら個々のページでそれを議論すればよいだけでは?--はぬまん 2011年8月22日 (月) 17:48 (UTC)[返信]
  コメントわたしにはローカルルールそのものが何故に存在し得るのか理解できません。しかし複数のページで設定され運用されているということはそれなりに意義があり、許容されているということなのでしょう。ローカルルールの制定が問題であるということならば、ローカルルールを禁じるルール制定が必要となるでしょう。そうでなく「南京事件」のローカルルールに問題があるのであれば「南京事件」のノートで発議することとなります。なお、PSIA氏はローカルルールに則り発言をされている訳でPSIA氏自身には一切問題ありません。--Truesight 2011年8月22日 (月) 18:36 (UTC)[返信]
  コメント基本的にははぬまん氏同様「個々のページで」って話なんでしょうけど、広く意見を募集して然るべき問題とも考えられるわけですし。こういう問題用のコメント依頼とかって無いんですかね。議論活性化ともちょっと違うような気もしますし。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月23日 (火) 07:35 (UTC)[返信]
  コメントコメント依頼から7日間しかないのでは、現実的に第三者の介入は困難に見えます。ただでさえ激しい論争は論点が分かりにくくなりがちであり、それまで参加していなかった人にとっては理解が難しいものです。また、もし投票に移るのならばその場で議論している編集者だけで行うのではなく、広くコミュニティに告知されたものであることが望ましいでしょう(Wikipedia:調査投票の方法に従う)。参加者の限定された投票は、後からその正確さを疑われることが考えられ、むしろ議論の妨げになる恐れがあるためです。--有足魚 2011年8月23日 (火) 15:42 (UTC)[返信]
  コメントノート:盧溝橋事件が先行してて、あまり時間を置かずに複数の記事に導入されてますね。例示されている文面だとノート:南京大虐殺論争/過去ログ2#ローカルルールの提案が元なのかな。B'z以外は同じ問題への対処として同じようにローカルルールが導入されていて、ノート:B'z/過去ログ 20070105-20090426#「パクリ問題」節に関する部分的ローカルルール提案では、類似の案件で南京大虐殺論争を参照しながらローカルルールができています。アカウントを乗り換え、編集を強行する荒らし対策だったと思われます。ある程度共通の事態への対応として、共通のローカルルールができるのはしょうがないですし、それがやむをえない事態だったのなら、多少は本来ウィキペディアが理想とするものとは異なるものでもしょうがないと思います。とはいえ、当時(早いものは2005年ですね)とは状況も変わっています(なので、2009年から履歴が始まるPSIAさんが、その理由を把握していないかもしれないし、把握していなくてもしょうがない。Dwyさんは、多少ご存知かもしれません)。当時はどういう状態で、どういう理由でローカルルールが作られたかというのを確認したうえで、今はそこまでひどい状態ではないなら、ローカルルールを考え直す提案をするところからはじめればよいのではないでしょか。とりあえずは、「南京事件 (1937年)」の履歴、南京大虐殺のログ[3](2010年6月14日 (月) 05:39 に「南京大虐殺」が「南京事件 (1937年)」へ移動されている)、LTA:PEACEあたりを見てみてください。当時そのルールを適用しなければならなかった対象とは異なるし、ウィキペディアは基本的には合意に向けてすぐに結論を出さなければならないものではないから、ローカルルール撤廃についての検討は、ローカルルールの適用除外ということにさせてくださいということにして提案してみれば、他の利用者も反対しないと思いますけれども。--Ks aka 98 2011年8月23日 (火) 16:26 (UTC)[返信]
私も導入の経緯は知りません。複数の記事の分をここでまとめて問題提起した一つの理由には、目立つところで問題提起すれば、誰かがローカルルール導入の経緯や趣旨を説明してくれるのではないかと期待したということもあります。--Dwy 2011年8月24日 (水) 16:18 (UTC)[返信]
わかる範囲でノートに経緯を書きました。このローカルルールは保護期間/解除時期が設定できない(保護といえば無期限保護しかなかった)うえに、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないがまだない(2006年4月に翻訳開始)時期の2005年12月23日に提案されたものなので、廃止を含む全面的な見直しが必要であると思います。--miya 2011年8月28日 (日) 02:27 (UTC)[返信]

  コメント ここに話が飛んでいる事に気づきました。失礼ながら少し論点がずれているかと思います。当ローカルルールはWikipedia:論争の解決の各ステップの期限を決めているだけで、(その妥当性には疑問がありますが、)ローカルルール自体は基本的には各ノートで問題提起して議論すべき話かと思います。問題はWikipedia:論争の解決を「記載の各ステップを終了すれば提案や議論は終了(実際の議論が継続していても打ち切り)」と解釈する[4][5]かどうかです。私は、「紛争の解決」を読む限りでは、これは紛争の解決へ向けての推奨の手法と順序をガイドしているだけで、どのステップに移ろうと議論や提案が強制終了できるとは(ガイドにもローカルルールにも)書かれていないと思っています。例えば「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に移ったからといって「ステップ2: 論争の相手と話し合う」の必要性が終了した訳ではなく、「ステップ3: 第三者を交えて議論する」で解決できなかったからといって「ステップ4: 投票」をしなければいけない訳でもなく、どのステップであれWikipedia:合意形成をめざすというのが、本来の趣旨と思うのですが。--Rabit gti 2011年8月28日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

おっしゃるような解釈であれば問題は少ないのかもしれませんが、私としては、そもそも各ステップの期限を決めることに何のメリットがあるのかが疑問なので(Rabit gtiさんも「その妥当性には疑問がありますが」とおっしゃっていますよね)、そのあたりも含めて根本的な議論が必要だと思った次第です。。
複数の記事に共通の問題ですし、それぞれの記事のノートで同じ議論を繰り返すのも無駄が多いですから、各記事のノートでアナウンスした上で、こちらで問題提起をしました。ノート:南京事件 (1937年)では、現在進行中の議論の流れをぶった切って告知の節を立てるのも、進行中の議論の中に告知が埋もれてしまうのも嫌だったので、上の方の「ローカルルール」の節でアナウンスしました。進行中の議論の邪魔をせず、なおかつ告知が目立つようにと思ってのことでしたが、却って気付きにくい状態になってしまっていたのなら、お詫びを申し上げます。--Dwy 2011年8月28日 (日) 03:28 (UTC)[返信]
  コメント すみません、私はDwyさん(あるいは他の方)を批判した積もりはありませんでした。私も「問題はある」と思っています。ただ、Dwyさんはローカルルールについてここで聞きたかった、という事がわかりました。私は同じ件ですが、(ローカルルールよりもリンク先の)Wikipedia:論争の解決の解釈(提案や議論を強制終了させる手順なのか)をここで伺えれば、と思っております(ややこしくてすみませんです)。--Rabit gti 2011年8月28日 (日) 08:00 (UTC)[返信]
「それぞれの記事のノートで同じ議論を繰り返すのも無駄が多い」それぞれの記事でそれぞれの理由、それぞれのコミュニティの同意の下、導入されている訳ですから、この場ですべてのページの合意など無理でしょう。ここで合意が取れたからとそれぞれの記事にローカルルールを撤廃しろと突きつけに行くつもりですか?Wikipedia‐ノート:合意形成でCray-Gさんが本井戸端を「井戸端にミートパペット募集の貼紙を貼りに行く」と言われたのはこういうことからだと思うのですがいかがでしょうか。--はぬまん 2011年8月28日 (日) 09:17 (UTC)[返信]
名前付きで引用されたので言わせて戴きますが、この「貼紙」を私は許容範囲内だと思っていますよ。つまり各ノートの住民達に「そろそろ考え直す時期じゃないかな?」と再考を促す際の説得力を得る為のものなんで。そりゃ大人数で押し掛けられて言われる方にしてみれば「ローカルルールを撤廃しろ」と詰められるも同然な気分でしょうけど、でもそうでもしないと各ノートの住民達だって「決まってるんだからごちゃごちゃ言うなよ」と言われて無視されてしまうわけですよね? 仕方が無いんじゃないですかね、数を背景に相手を議論のテーブルに着かせるのも日本流の説得術の一つですから。
無論、そのまま数の力で議論の決着を付けてしまう=「突き付けに行く」のであれば話は違ってきますがね。それはまさしく今、此処とは別の場所でDwy氏と私とが議論している問題なわけで。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月29日 (月) 10:49 (UTC)[返信]
いやぁ、でも実際「決まってるんだから~」とスルーされたわけでもない訳です、Dwyさんがノート:南京事件 (1937年)でローカルルール要らないんじゃないか?と提案し議論した訳でもない、ここにリンクをつけただけで。私がこの井戸端に感じるのは言葉は悪いですが「横着するな」というものなんです。ちゃんこなべさんが提案して異論なし導入されてるところはまだしも、議論されたうえで導入されてるところもあるわけですから。呼びかけてみて必要ないとするところもあれば必要だとするところもあるでしょう、それはそれぞれに違いうる訳です。Dwyさんがローカルルールに問題なんじゃ?と思うのは個人の自由ですが、その問題も踏まえて導入してるところもあるのでは、と思えるのです。そういうコミュニティの意向を慮らずこんなところでどう問題だと議論しても撤廃すべきという合意にはなりえないのではと思う次第です。--はぬまん 2011年8月29日 (月) 13:26 (UTC)[返信]
今のノート:南京事件 (1937年)でローカルルールについて質問したら、余計に議論が錯綜しそうですから、井戸端で聞くのは問題ないと思い、Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについてに経緯を書きました(ノートじゃなく、この下に置いたほうが良いなら転記をお願いします)。Peaceさんがらみの記事は根がほとんど同じですし。ただ、具体的な見直しは各記事のノートでそれぞれ提案して、適用中止するなり変更するなり、議論が必要だと思います。--miya 2011年8月29日 (月) 21:51 (UTC)[返信]
◆一つには、「此処で話し合われた結果がこれから各ノート頁での結果になる」か否かの問題ではないでしょうかね。此処で何を話そうが、それがイコール各ノート頁での結果「ではない」のならば、結局は各ノート頁での意見が尊重されることになるわけで。
また「横着」に関しては、Wikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングの記述内容に「気を使った」ものかも知れませんよ。「各ノート頁で話にならなかったので井戸端に持ち込みました」では文字通りフォーラム・ショッピングなわけですしね。はぬまん氏の言うのは要するに「筋を通せ」ということなのかも知れませんが、「筋」というのはどうもわからない人間には全くわからない概念のようですから、このまま続けても話がややこしくなるばかりかな、と。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月30日 (火) 04:35 (UTC)[返信]
はい、「筋を通せ」とご認識いただければ話が分かりやすいかもしれません。Miyaさんは議論が錯綜しそうと仰られますが話の種類としては改名提案とは大分異なるので問題ないのではと思えますし、下のPSIAさんの仰ることと多少重なりますがローカルルールを撤廃すべきという結論になったとしても現在行われている議論には反映すべきでないと思います。ぶっちゃけローカルルール自体に関しては「いらないんじゃないのかなぁ」と思ったこともあるんで話をややこしくしてほしくなかったりもします。--はぬまん 2011年8月30日 (火) 16:17 (UTC)[返信]
私としては「皆さんは上記ルールについてどのような思われるでしょうか?」と問いかけているだけで、要するに「何か知っている人や意見のある人は、ここに集まって情報交換しましょう」と呼びかけているだけです。今のところそれ以上のことはしていませんが、これから先どれだけの手間をかけるつもりかは他の誰にも見えていないはずですから、「横着するな」は、少し先走って決めつけすぎだと思います。
「筋」という意味では、「マルチポストは避ける」が一般常識ですし、Wikipedia:ノートページのガイドラインにおいても「議論の場所を一ヶ所にまとめる」が推奨されています。「複数の記事に共通の問題」はまとめて一か所で議論する方が良いと思ったから、ここで問題提起したまでで、そのことを「井戸端にミートパペット募集の貼紙を貼りに行く」のように言われる筋合いはないと思います。(実際、Ks aka 98さんやmiyaさん、有足魚さんのコメントが別々のところに寄せられていたら、議論を進めるのがとても難しくなっていたはずです)
はぬまんさんは「それぞれの記事でそれぞれの理由、それぞれのコミュニティの同意の下、導入されている」という認識のようですが、私が調べた限り(というか調べてくださったのはMiyaさんですが)「それぞれの記事でそれぞれの理由」があったようには、どうしても見えません(「B's」だけは導入時期も違うし、事情が違うのかもしれませんが…)。もし本当に一緒にまとめて議論できない理由があるとお思いなら、それこそ「横着」をせずに、もう少し具体的に論じていただけませんでしょうか?
また、「突き付けに行く」や「コミュニティの意向を慮らずこんなところでどう問題だと議論しても」の表現も、これも私の感覚としては、ちょっと頷けません。私としては各ノートの住民達をこちらにご招待しているわけで、(今後もしそういう流れになればですが)みんながこちらに集まって合意が形成されれば、それは「コミュニティの意向を慮らず」ではありませんし、わざわざ改めて合意事項を「突き付けに行く」必要もないはずだと思っています。--Dwy 2011年8月30日 (火) 18:28 (UTC)[返信]

コメント 編集

このような依頼がされているのは知りませんでした。
このローカルルールは「記事を変更したい者」に対し、「反対者」がいる場合、記事を変更しようとする者は「反対者の合意がなければ編集できない」というものであり、しかもその合意を得るための各手順には期限が設けられている。設定された期限の後も議論を継続することは禁止されいないが、合意を得るための期限が設けられているため、「記事を変更しようとする者」は期限を越えた時点で自身の希望の編集はできなくなってしまう。これはローカルルールの文を読めば誰でも理解できることだと思います。
現在の状況に合わなくなったため、ルールを変更すべきとする提案や問題提起をすることに異論はありませんが、問題提起や変更をするならば、何も論争が起こっていない静かなときにおこなうべきではないでしょうか(南京事件の記事でも静かな時期は何度もありました)。ずっと存在していたルールを、論争が起こってそれに参加し、自分側にこのルールが都合が悪くなってから(ルールの存在を指摘されてから)、急にこのようにローカルルールを問題提起したり、変えようとしたりする行為は、自分に都合の悪いルールは変え、都合よく事後法を作ろうとしているように見えててなりません(まるで裁判中に法律に問題があると言い始める被告のように)。
確かに期限がきついという思いも私は持っております。しかし、すでに存在している以上、このルールを守って進行してくことは当然だと思います。変える場合は現在の論争が終わった後など、落ち着いたときにすべきと考えます。--PSIA 2011年8月30日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
裁判中に法律に問題があると言い始めるのは、例えば法律の違憲無効を主張する場合とか、あり得ない話ではありません。また、裁判中に法律の解釈を争うことは、ごく当り前に行われていることです。
PSIAさんのローカルルールの解釈については、南京事件のノートでも読ませていただいておりますから、分かっています。ただ、その解釈が「文を読めば誰でも理解できる」ものであるかどうかについてはRabit gtiさんや私から異論が出されており、その点はPSIAさんも認識されていることと思います。
で、PSIAさんに3つ質問なのですが、(1)合意を得るための各手順に期限が設けられていることにより、どのようなメリットがあるのでしょうか?(2)「期限後も議論は継続できるが編集はできなくなる」というルールについて、その趣旨やメリット等が記事のノート等で具体的に議論された例をご存知ですか?(3)議論は期限後も継続できるとのことですが、その結果、みんなの意見が変わって合意が形成されてしまったら、その合意に基づく編集はしてもよいのですか?
よろしくお願いします。--Dwy 2011年8月30日 (火) 19:05 (UTC)[返信]
私の解釈でなく、ローカルルールそのままだと思うのですが?異論はけっこうですが、その異論はこのローカルルールがまったく存在しないものになる論理でしたよね。「期限がないんだ」「いつまでも継続できる」などなど(じゃこのルールの存在は何なんだと・・・)。
さて、質問にお答えします。
(1)メリハリある議論になるのでは?提案は3日異論がなければ有効となるので反論者は即座に反論しなければならないし、逆に相手を説得するため説得力ある手法で望まないと提案者は反論者を期間内に合意をもらえず、自身の編集を実現できない。個人的にはもう少し期間を伸ばしてもいいかなとは思いますが、相手を説得できる材料もないのに、いつまでも納得しないタイプの編集者にコミュニティが疲弊せずに済むメリットはあると思いますね。Dwy氏も「Wikipedia‐ノート:合意形成」にて「数か月議論しても問題が解決しないなら、そのあと何百年議論しても時間の無駄だと僕は思う(だから多数決で決めるべき)」と仰っていますよね。「期限を決めてスパッと決めちまおうぜ」「数でスパッと決めちまおうぜ」という期限か数かの違いなだけで、そういうメリットを思ってこのようなローカルルールを作ったのではないでしょうか?もっとも私は、それをメリットなどとは考えていません。ルールがある以上、守れと主張しているのみです。
(2)その議論は見たことありませんが、ルールでは文字通り、編集に反対者がいた場合は、反対者の合意が必要で、その合意を得るための議論には期間が設けられており、期間内に反対者の合意が得られなかった場合は、「議論は不調に終わったことと見なす」と期間が設定されているのに、その期間が過ぎても議論を続けて、それがもし編集に反映されちゃったら、「(議論)は不調に終わったことと見なされた」ルールはどこいっちゃったの?となりますよね。「みなす」という「みなし規定」って法律用語で、みなされた以上、もはや反対証拠を出しても覆せない強いものなんですけどね。期間を無視できるならば、いったい何のルールなのか、このルールの趣旨は何なのか、逆に聞きたいくらいですが、(1)でも申しましたが、Dwy氏が「Wikipedia‐ノート:合意形成」にて、議論がこじれた場合は「時間の無駄だから全会一致はある程度で諦めて多数決でスパッと決めちまおうぜ」という提案理由と同じ趣旨なのかなと勝手に考えています。個人的にとても嫌なルールだと思いますが、すでにルールが設定されてある以上、守らなければならない。(こういう状態にならないためにも、議論を遮るような「多数決」を推進する提案も止めた方が良いのではないかと思いました。)
(3)「よい」行為とは言えないでしょうね。「赤信号みんなで渡れば怖くない」で、多勢に無勢ですから、私が違反であることを訴えても、その合意形成は編集に活かされるのでしょう。ローカルルールが完全に無視された前例となると思いますので、「よい」とは私は言えませんね。--PSIA 2011年8月30日 (火) 22:25 (UTC)[返信]
(1)「メリハリある議論」が本当にメリットなのか、私には疑問です。Wikipedia‐ノート:合意形成の議論では「(一律に)期限を決めて」のようなことは一切言っていないと思います。それから、「スパッと決めちまおうぜ」も私の思いとはちょっと違っています(こちらの発言の後半部分などもご参照いただきたいと思います)。
(2)「このルールの趣旨は何なのか」が私にとっても謎です。前半部分だけならWP:3RRを更に厳しくした「1RR」で、英語版のen:Talk:Liancourt Rocksなどで私にも馴染みがあるのですが、後半部分の「合意の基準と方法」は本当に意味が分かりません。
(3)議論した結果を編集に生かせない(生かさない方が良い)ということなら、「議論は継続できる」と言うのはちょっと誤魔化しくさいと思います。--Dwy 2011年9月12日 (月) 15:18 (UTC)[返信]

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正直な感想を述べさせてもらうと、このローカルルールでは存在自体が、議論と合意に重きを置くウィキペディアの精神に違反しているとしか言えません。 ひどいと思いませんでしょうか。 3日で合意で、それに異を唱えた場合は、問題提起の日から起算して7日経ったら議論途中でも機械的に次のステップに進むなんぞ、精神無視の最たるものですね。 Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うにある「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。」にも違反です。 --Dictionwolf 2011年8月31日 (水) 20:49 (UTC)[返信]

こうでもしないと収拾がつかなかった時代があった、という点だけはお察しください。導入当時と今とでは、方針の整備状況も運用も保護機能も全くちがっています。--miya 2011年9月1日 (木) 02:09 (UTC)[返信]
「違反です」とは言い切れないのでは?「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。」の「長い期間」に引っかかりそうな気も確かにしますが、「長い期間」と言うのは人の感覚によって違います。そのはっきりしないものを、はっきりとさせたものが、このローカルルールなのでしょう。もちろん時代や状況により、変更すべきと考えるならば(同じローカルルールのあるすべてのところで)提案し、合意を得て変更すればよいのみです。しかし、このルールに縛られ編集できなかった人々や、守ってきたこれまでのユーザーがいるわけです。ルールが存在している以上、守らなければなりません。--PSIA 2011年9月1日 (木) 16:32 (UTC)[返信]
ひっかかりそうではなくて、内容の重軽を何ら考慮せず、スタートしてから7日や3日に期限を切っている時点で引っかかっているのです。 現在このようなローカルルールを提示しても200%成立しない以上、役目は終わっていると言っておきます。(例えば、「意見が対立したまま、議論の堂々巡り、内容に直結する質問に答えない、別の話題に摩り替えるなどが繰り返されたり、あるいは双方が妥協点がないことを認めた場合は、Wikipedia:論争の解決の次のステップに進むことを防げない。 第三者意見によって合意が見られない場合は、両意見を取りまとめた上で、仲裁者を探す努力を優先する。」ぐらいが適当だと思いますよ。) またPSIAさんのルールの縛り方は疑問に思います。--Dictionwolf 2011年9月2日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
「引っかかっている」かどうかは「長い期間」をどう捉えるかという人の感覚だから「引っかかっている」と言い切ることはできませんよ。人によっては三日、七日、七日、計17日間が「長い期間」「十分な期間」と捉える人もいるはずであり、だからこそ成立し、その後も存在し続けていたのだろうし。「引っかかっている」と言い切るには、論争の解決における「長い期間」とやらが17日間を超えるものであることを証明しないとなりませんよ。
「役目は終わってる」からって現実に存在しているルールを無視する行為を正当化する考え方って危険だと思います。まあ、変更すべきというお気持ちに異論はありませんけど。
このルールは「論敵の編集を封じ込めることのできる」ところが問題だと思います。リバートを正当化できちゃうんですよね。これまでも特に問題のない編集がこのローカルルールを盾にリバートを正当化されてきた現実がある[6](この例の場合は、結果的にPEACEさんというブロック破りの者でしたが、リバートされた時点では、まだブロック者である確定はなく、ローカルルールを盾にリバートが正当化されている)。こういう「論敵」の編集を封じ込めることのできる点が問題だと思いますね。--PSIA 2011年9月2日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
証明以前の問題です。 Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うにある「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。」という観点に立てば、内容の重軽(あるいは議論の進行状況など)を何ら考慮せず、スタートしてから7日や3日に期限を切ってしまうという考え方は論外だと言ってるのです。 17日が長いか短いかの話ではありません。 PSIAさんの指摘は「弊害の実例」であって、私の指摘は「論理構造の破綻」ということであって、入り口でも出口でも、このルールでは結局駄目なんだということですね。--Dictionwolf 2011年9月3日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
ローカルルールの運用方法についての考え方は、ウィキペディアは規則主義ではありませんWikipedia:合意形成#合意のレベルによって、上位のルールの精神をないがしろにしたようなようなものを作ったり、その精神に合わないものが残っていた場合などは、無視されうるということをご理解下さい。--Dictionwolf 2011年9月3日 (土) 05:39 (UTC)[返信]
私も出口のみならず、入口もルールの問題点は感じていますよ。私の感覚では議論を尽くすには17日間というのは短いので。しかし、ローカルルールで期間を設けてはならないルールはなく、そして人によって文を捉える感覚というは違うので、17日間の設定というものが「最大限の努力」「議論を尽くすには十分な期間」と考える人もいるわけで、完全なルール違反であると人に「言い切る」ならば、感覚ではなく証明が必要になってくるということです。--PSIA 2011年9月4日 (日) 19:01 (UTC)(Dictionwolf氏がブロックされ、反論できないでしょうから言っておきますが、Dictionwolf氏の言いたいことは正論だと思うし、十分理解はしているつもりです。ただ少しルールを無効にしたいがための強引な論法を感じたので意見を言わせてもらいました。--PSIA 2011年9月4日 (日) 19:19 (UTC)[返信]

提案 編集

ええと、議論が拡散してるみたいなんですが、結局ローカルルール撤廃するってことではだめなのかな。

  • 今のルールについて、疑問・問題があることでは(PSIAさんも含めて)一致していますよね。
  • 進行中の議論に対して適用するかどうかというと、このローカルルールは、どちらの意見を有利にするものではないと思うので、あまり気にしなくていいと思う。各ノートで、この議論はローカルルール適用したままってのがあるなら、それはそういう合意として残す。(はぬまんさん)
  • 妥当な手続きと新たな合意によって、問題があるローカルルールを修正したり撤廃することは、ルールを無視したり軽視したりするのとは違うはず。(PSIAさん)
  • Dwyさんの手続き論は別立てで。(はぬまんさん、Dwyさん)
  • かつての導入が妥当だったかどうかは、今更問わない。(Dictionwolfさん、Miyaさん)

として、異論はありますか?

手続きとして、合意の確認をそれぞれのノートでやるべきならそうすればいいし、ノートで案内してここでやればいいならそのほうが楽ではありますけれど。--Ks aka 98 2011年9月3日 (土) 07:38 (UTC)[返信]

廃案で異論はありませんし、正式な手順での廃案は「ルールを無視したり軽視したりするのとは違う」と考えています。しかし廃案になるまでは、そのルールは正式に存在しているのであり、現在、ルール違反が発生している状況をどうお考えか、管理者としてのご意見をいただければ幸いです。--PSIA 2011年9月4日 (日) 19:19 (UTC)[返信]
  コメントが付かないようなので横から失礼します。PSIAさんは「管理者としてのご意見をいただければ幸いです」と書かれていますが、Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかでは「プロジェクトの運営についても、それほど特別な存在ではありません。ウィキペディアがどうあるべきか、どんなポリシーが採用されるべきかなどについても、一般の利用者の意見よりも管理者の意見の方が重要だということはありません。」とあります。またウィキペディアは規則主義ではありませんでは「規則はコミュニティの目的ではありません」や、「提案や推薦など、投稿するときに犯した手続き上の瑕疵は、その投稿を無効とする根拠にはなりません。」とあります。私の理解では、各種のガイドは法的または運営上、有意義なので存在しています。ガイドは「推奨」でもなるべくは守るべきですが、「明らかに無意味だが、ルールなので守るべき」というのは逆転していると思います。なお今回話題のローカルルールは、私も廃止が妥当とは思いますが、このローカルルールは単に次のステップへ移る(= 次のアクションを追加する)期間を定めているだけで、PSIAさんが主張を繰り返しているような「ステップが終了したら提案や議論は強制終了(却下)」という趣旨は、どこにも書いてありません。つまり解釈(思い込み)が間違っていると思います。(ローカルルールが廃止となれば、以後はその誤解も消滅できる形ですが。)--Rabit gti 2011年9月10日 (土) 14:30 (UTC)[返信]
このルールは、反対者のいる編集には反対者の合意が絶対的に必要であり、その合意を得る手順は、それぞれの期間が定められており、その期間が過ぎたら各ステップを「終了したこととみなす」としているので、仰るように「次のステップ」に移らねばなりません。「南京事件」のノートについて言えば、議論ステップの期間はすでに「終わったものとみな」されているわけで、次のステップ(南京事件では「仲裁やノート保護」ステップとなる)に移らなければなりません。しかしそれができていないので、ルール違反となっていることは明らかでしょう。合意を得るための議論は「すでに終わったこととみなさ」れているのですから。この「解釈(思い込み)が間違っている」と仰るならば、どう違うのか詳細に説明をお願いしたいところです。また、私はこのルールについて「明らかに無意味」とは述べておりません。先にも述べたとおり、作成者(提案者)がそれなりのメリットを考えてつくられたことは理解できます。個人的には期間が短すぎることと、リバートを正当化できてしまうところに問題があるとと感じているのです(これもすでに先に述べました。ちゃんと読んでいただきたい)。とにかく、まだ廃案合意に至っていない正式なルールを、「有意義ではないから」という個人的な考えで、破ってもokという考え方は問題だと言っているのです。そんなにおかしな意見でしょうか?当然のことだと思いますが。また管理者が云々と仰っていますが、管理者はルール違反した者を短期的ならば独自で編集者をブロックできる権限を持っている方です。つまりそれだけルールに長けた方であり、その方の意見を聞くことは有意義なものと思ったまでですが、そんなにおかしなことでしょうか。「規則主義ではありません」と仰りつつ「方針」を提示して説明しているところに何かちょっとRabit gti氏の矛盾を感じてしまいました。--PSIA 2011年9月10日 (土) 15:48 (UTC)[返信]
  PSIAさん、ノート:南京事件 (1937年)#改名の趣旨説明ならびにその根拠についてでの議論の反復になってしまいますが、やはりWikipedia:論争の解決の解釈が妥当でないと思います。このガイドではWikipedia:合意形成するための、論争の解決方法の推奨手順が列挙されています。仮に「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に進んだ場合に、「ステップ2: 論争の相手と話し合う」の必要性が消滅するとか、「ステップ2: 論争の相手と話し合う」事が禁止される(既にステップ2は終了したので、以後は論争の相手と話し合ってはいけない = 議論禁止)と解釈するのは、明らかにWikipedia:合意形成の趣旨に反しています。(第三者への呼びかけ後や、投票開始後であれ、当事者間で解決できればそれが最善です。)ローカルルールの「不調に終わったことと見なす」の主語は、普通の日本語で考えれば「該当ステップ(に記載された手法)による解決が」と考えるべきで、「該当ステップは終了したので以後は禁止」と解釈するのは不適切です。なお、私はローカルルール作成には当時の必要性はあった事は否定していません。またウィキペディアは規則主義ではありませんは、全規則を一律否定したものではなく、「明文化された方針とガイドラインは真摯に受け止められるべきですが、誤用されることがありえます。方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。」と書かれています。法学で例えるならば「法治主義(悪法も法)よりも、法の支配(法は趣旨を考慮して運用すべき)」と思っています。趣旨を考えて再読されることをお勧めします。--Rabit gti 2011年9月11日 (日) 01:56 (UTC)[返信]
議論の期限を決めることが「明らかにWikipedia:合意形成の趣旨に反しています」とはいえません。いえると仰るならば、計17日間の議論のどこが「明らかに趣旨に反している」というのか、個人の解釈ではなく具体的な証拠を持って説明しないと、それこそRabit gti氏こそが個人的な「解釈(思い込み)」で話していることになるのではないでしょうか。
『「不調に終わったことと見なす」の主語は、普通の日本語で考えれば「該当ステップ(に記載された手法)による解決が」と考えるべき』と仰っていますが、はじめから私はそれが主語と思っていますが??その主語である「該当ステップ」というのは「論争相手と話し合う」、「第三者も交えて議論する」ですので、それがそれぞれ一定の期間が過ぎれば「終わったものとされる」ので、他にどのような手法の議論があるのでしょうか?残るステップ(手法)は「仲裁・ノートの保護」しかありません。素直にローカルルールを読んでください。
議論の期限を決めることが「方針の原理原則を損なう」ものと言い切ることはできないですし、このルールにもwikipediaの改善に役立っていた点もあるのです。もはやそのメリットがなくなったという事ならば、このルールを正式に廃した上で、その後、議論を続ければよいのではないでしょうか。個人が「方針の原理原則を損なっている」とかいう勝手な判断で、これまでずっと有効だったルールを無視してはなりません。
Rabit gti氏の主張からすると、ルールに議論の期限が設定されていても、それはまったく無効・無視してOKというものであり、ならばこのローカルルールを廃案にする必要すらない、あっても無意味なものということになります。しかしその無効論は上記のように独自解釈が過ぎて論理の飛躍があり、間違っていると思います。このルールは議論の期限が確実に設定してあり、しかも短すぎると思える期間であり、しっかりと廃し、その後で議論をすべきでしょう。正式なルールがあるのに個人的判断・解釈で間違ったルールだから無視してokという思考方法は危険と考えます。--PSIA 2011年9月11日 (日) 16:23 (UTC)[返信]
  PSIAさん、ノート:南京事件 (1937年)#改名の趣旨説明ならびにその根拠について同様、残念ながら話が全くかみあっていません。以下、お手数ですが冷静に読んで頂けないでしょうか? (1)「議論の期限を決めることが「明らかにWikipedia:合意形成の趣旨に反しています」」とは誰も言っていません。(2)私の書いたのは「仮に「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に進んだ場合に、「ステップ2: 論争の相手と話し合う」の必要性が消滅するとか、 「ステップ2: 論争の相手と話し合う」事が禁止される (既にステップ2は終了したので、以後は論争の相手と話し合ってはいけない = 議論禁止)と解釈するのは、明らかにWikipedia:合意形成の趣旨に反しています です。(3)主語の話は、私の理解は「該当ステップに記載された手法による解決が」です(動詞から考えて意味的な主語は「解決」です)。PSIAさんの説明では「ステップが」です(このため議論停止という結論になっています)。(4)「正式なルールがあるのに個人的判断・解釈で間違ったルールだから無視してokという思考方法は危険と考えます。」とありますが、私の指摘は「ローカルルールを独自研究な個人的判断・解釈で押し付けるのは不適切」です。(5)そもそもウィキペディアの議論は「コメント依頼や投票に進めば、当事者間の議論は禁止される」ではありません。コメント依頼は第三者の意見も求めて、当事者で議論を続ける事で、投票でも同様です。私は独自な主張をしているのではなく、ガイドにも書かれ、実際に大多数のノートで行われている進め方を述べているつもりです(当事者同士では平行線のため、他の皆様のご意見も伺えると嬉しいです。)--Rabit gti 2011年9月12日 (月) 12:16 (UTC)[返信]

撤廃に関して 編集

ローカルルール撤廃については、どなたからも異論がないようです。手続き論については、各記事のノートで提案・議論すべきだというご意見がありましたので、一応、各記事のノートでもう一度提案して、異議がないことを確認した上で、それぞれのページのローカルルール撤廃という手順にしたいと思います。--Dwy 2011年9月11日 (日) 03:59 (UTC)[返信]
[7]を参考にすると投票に関係した橋川桂さん、15:49の死線さん、Hermeneusさん、Matunamiさん、ちゃんこなべさん、Kanoeさん、johncapistranoさん、Kinoriさんに議論の存在を連絡すべきではないか?--Sweeper tamonten 2011年9月11日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
その投票は、ローカルルールの適用に当たってどの版に差し戻すか(=つまり、どの版が中立的なバージョンか)を決めたものであり、ローカルルールそのもの内容について投票を行ったものではありません。投票者の皆さんが「盧溝橋事件におけるローカルルールの設定に関与したメンバ」というわけではないように思います。また、今回の議論については既に各記事のノートでの案内済みですから、私としては、更に特定の個人に対して議論の案内を行うことについて消極的な思いもあります。Sweeper tamontenさんが案内を実施されるのなら反対はしませんが、私自身が案内を行う気持ちはありません。せっかくアドバイスをいただいたのに、素直に従えなくて、ごめんなさい。--Dwy 2011年9月12日 (月) 14:56 (UTC)[返信]
Dwyさん。廃案に異論はありませんが、質問しっぱなしで反応なしって相手に失礼ではないですか?--PSIA 2011年9月11日 (日) 16:17 (UTC)[返信]
私の反応がなくても(Dictionwolfさんのコメントによって)議論はちゃんと進行していたので、ついつい私からのコメントが遅れました。申し訳ありませんでした。--Dwy 2011年9月12日 (月) 14:56 (UTC)[返信]
ノート:B'zを除く各記事のノートにおいてローカルルール廃止の合意が成立しましたので、それぞれのノートにおいてローカルルールの表示の除去等の対応を行いました。
なおノート:B'zでは、荒らし対策のためのローカルルールそのものは必要というご意見があり、「合意の基準と方法」のみを廃止することが合意されました。--Dwy 2011年9月19日 (月) 16:54 (UTC)[返信]

ローカルルールと改名議論 編集

先日から疑問に感じていることなのですが、ローカルルールは改名議論に適用されないのでしょうか?ちゃんこなべさんが「南京事件(1937年)」から「南京大虐殺」への再改名を 2011年1月30日に正式提案なさってから半年以上経っています。記事そのものの充実にあまり寄与しない「改名議論」は、ある程度議論して合意が得られなかった場合は、ローカルルール(もし適用対象なら)に従って速やかに終了するなり投票に移行するなりしたほうが、記事のためになると思うのですが。--miya 2011年9月12日 (月) 01:03 (UTC)[返信]

  その議論はノート:南京事件 (1937年)#改名の趣旨説明ならびにその根拠についてなどで継続中です。「ノート:南京事件 (1937年)#論点の整理案」の表(作成中)では「6-3」に挙げてあります。これら論点は今後ノート:南京事件 (1937年)で議論予定かと思っています(まだ進め方も全く決まっていないので、各論点が個別に議論されるかどうかも未定ですが)。なおPSIAさんは、適用されるとの立場、私は(適用されない、ではなく、)「当ローカルルールを普通に読めば、議論の強制終了を定めたものではない」、との立場です。ローカルルール廃止議論と同様、この議論も当井戸端に移動する案もあるとは思いますが、複数ノートにも関連するローカルルール廃止の話と異なり、上記改名議論はノート:南京事件のみに関連している話なので、従来どおりノート:南京事件の方が適切かと思うのですが、どうでしょうか?(井戸端で議論もしている私が言うのもなんですが、井戸端は本来は道案内の場のようなものと思っており、井戸端に何でも議論を移動するのは良くないと思うので)。--Rabit gti 2011年9月12日 (月) 12:29 (UTC)[返信]
正式にはあちらで提起すべきことですが、一般論としての意見はこちらの方が聞きやすいので、こちらに書いています(正直なところ、あちらのノートは膨大すぎて)。◆「当ローカルルールを普通に読めば、議論の強制終了を定めたものではない」とお書きですが、「強制終了」というより、水掛け論になった場合やいつまでも納得しない人がいた場合、あるいは議論がループする場合、どこかで区切りをつけて投票ででも、暫定的にでも議論を収めようというのがこのローカルルールの精神ではないでしょうか。--miya 2011年9月12日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
  ローカルルールの問題の箇所は以下です。「3.最初の異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。4.コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。」。私の理解では、これを普通に読めば「当事者間だけで一定期間で解決しない場合は、コメント依頼をする」「コメント依頼でも一定期間で解決しない場合は、更に投票(の準備)を行う」と書かれています。つまりこのローカルルールの精神は、「短期間で次々に手を打っていく」という事で、「コメント依頼するので、以後は当事者は議論したらルール違反です」と読むのは、かなり強引な解釈ですし、ウィキペディアでの通常の合意形成の流れと全く異なります(コメント依頼で来て頂いた方を含めて、一緒に議論しないのでは、そもそも議論も進みません。それとも当事者を除外した第三者同士だけで「判定会議」するのでしょうか?それでは合意形成にはならず、自己矛盾です。)........と、以上のように、PSIAさんと私では、解釈の平行線が続いている訳です。--Rabit gti 2011年9月12日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
なるほど。それでは・・・依然として議論中ですが、当事者間では解決の見込み薄として、投票(準備)に進むことは、ローカルルールにかなっている、と言っていいですね?--miya 2011年9月14日 (水) 02:39 (UTC)[返信]
  調査投票に進むかどうかも、かねて議論になっており、ノート:南京事件 (1937年)#論点の整理案では「論点7-4」に、賛成意見と反対意見を併記しています。なお調査投票は「簡単に意見を調査する道具の一種です。調査投票は、議決のように始めたり、終わらせたりするべきではありません。」と書かれています。(多数決とは異なり、当事者間で解決の見込みが薄い場合に、調査投票をすれば解決になるというものではありません。あくまで合意形成のための意見整理の道具です。)--Rabit gti 2011年9月17日 (土) 08:09 (UTC)[返信]
 「当事者間で解決の見込みが薄い場合」、つまりいくら「議論」しても双方譲ることが期待できない場合に「投票」で暫定的な決着をつけるというのが、このローカルルールの基本ではないでしょうか。◆「論点をまとめてから」というのは当然のことで、チベット自治区の改名投票のような、詳細なまとめが必要であろうとは思います。議論をないがしろにしたまま投票で決着をつけるのはウィキペディアのやり方ではありませんが、十分時間をかけて議論しても解決しない現状では、投票でほかの多くのウィキペディアンの意見を取り入れるのがよろしいのではないでしょうか。◆論点をわかりやすく整理して 選択肢を(1)Aにする、(2)Bにする、(3)A、B、両方立ててAに言語間リンクを置く、(3)A、B、両方立ててBに言語間リンクを置く、という形の調査投票を行いコミュニティの意見に従う・・・というのは単なる「多数決」ではありません。--miya 2011年9月17日 (土) 15:38 (UTC)[返信]
  (1)当ローカルルールでの「投票」について、miyaさんの解釈を含めた複数の解釈や主張が存在しており、それはノート:南京事件 (1937年)#論点の整理案の「論点7-4」にも含まれています。真の問題は、当ローカルルールでは「投票」がウィキペディアの通常の調査投票単なる調査で拘束力なし、私の解釈)なのか、「暫定的な決着をつける」(一定の拘束力ありmiyaさんの解釈)なのか明記が無い事です。個人的には、仮にmiyaさん主張の趣旨ならば当ローカルルールは重大な記載不備としか考えられず、常識的には通常の「調査投票」と解釈すべきと思っています。なおノートの議論では、全ての方が「(調査)投票は拘束力なし」で進んでいます。当ローカルルールは、過去に緊急対応的な必要性から作られたためか、あまり練られておらず、今回のように正反対の解釈が可能で、逆に不毛な推測や混乱の元となってしまっており、その意味でも早期の廃止か改定が望ましいと思います。(2) 論点の整理のためノート:南京事件 (1937年)#論点の整理案を作成中です。ただし当整理の後で投票に進むか合意ができた訳ではありません(ノートでは慎重論の方が多数です)。(3)論点整理後に「調査投票を行いコミュニティの意見に従う・・・というのは単なる「多数決」ではありません」との主張は疑問です。拘束力があれば「調査投票」とは呼べません。ただし、調査投票後に調査投票結果も参考に議論を続け、合意形成となる可能性はあります。つまり投票は合意形成のための道具であり、投票が合意の代わりになる訳ではありません。調査投票などの再読をお願いします。--Rabit gti 2011年9月18日 (日) 03:34 (UTC)[返信]