Wikipedia:井戸端/subj/神道を表す画像について

神道を表す画像について 編集

 
A:お聞きしたいのは、こちらの画像です
 
B:このような画像は如何でしょうか
 
C:このような画像は如何でしょうか

記事「神道」の冒頭に掲載されている画像「Montage of Shinto.png」(A参照)についてお聞きします。

こちらの画像は鳥居御幣などの写真のコラージュとなっており、いずれの被写体も神道を想起させるものとなっております。記事「神道」の冒頭に掲載されていることからみて、神道という概念を表す画像として掲載されていることと思います。目にも鮮やかで美しい写真だと思いますが、その中になぜか「だるま」の写真が混在しております。

だるまのモデルとなった達磨祖師ことボーディダルマ師はインド仏教僧侶ですし、置物としてのだるまも我が国では仏教の寺院に参詣した際にお求めになるのが一般的かと思います(東京近辺だと、だるまと言えば川崎大師こと金剛山平間寺ですとか、柴又帝釈天こと経栄山題経寺などといった寺院が有名ですよね)。そもそも、この写真の撮影場所も、仏教寺院である少林山達磨寺とお見受けしました。

もちろん、かつては神仏混淆の時代もあり、神道と日本仏教にはかかわりがあること自体は承知しておりますが、だからといって仏教の僧侶をモデルにしただるまというのはあまりにも仏教要素が強すぎるでしょうし、神道を代表する写真とは思えないと感じます。あえて、だるまを神道という概念を表す画像として掲載する必要性は薄いと思います。もしかすると、神社の縁日等で的屋が出店でだるまを売っていることもあるのかもしれませんが、少なくとも神社の社務所などでは一切取り扱わないでしょう。当たり前ですが記紀神話に達磨は登場しませんし、達磨が神道の神々の一柱だとお考えになる方などいらっしゃらないでしょう。この画像は日本語版だけでなく、既に英語版、ドイツ語版、フランス語版などにも神道という概念を表す画像として掲載されているようで、だるまは神道を代表するものの一つだと世界規模で誤解がどんどん広まることになるのではないかと危惧しております。どなたも疑問に思わないのでしょうか……。

ただ、だるま以外に何がふさわしいのかと言われると、神宮大麻狛犬注連縄神棚大麻、いろいろありますが……。たくさんの鳥居の写真は上部にありますので、単一の鳥居の画像があるといいかもしれませんと個人的には思いましたが(B参照)(C参照)、こういう画像はセンスが問われると思いますので私には決められません。

といって、この画像はコラージュになっており、画像の一部分のみを差し替えるという方法は恥ずかしながらそもそも私にはやり方がわからず、コモンズで助けを求めようにもあちらは英語中心(?)のようで私にはハードルが高く、コラージュ作者の方の会話ページもみてみましたが上記内容を説明したところでご理解いただけるような自信もなく、ここでご相談してみました。--126.196.163.26 2021年1月13日 (水) 11:06 (UTC)[返信]

さっそくのアドバイス、誠にありがとうございます。プロジェクトというものがあるのですね。「プロジェクト‐ノート:神道#神道を表す画像に「だるま」が?」に上記経緯の概略を記載の上で、こちらへのリンクを張らせていただきました。--126.210.76.56 2021年1月14日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
柒月例祭さん、プロジェクトでのご意見ありがとうございます。「神道って神仏混淆の時代から「細かいことはいいんだよ」「なんでもオッケー」的なところもあるので、そこらへんの寛容さというか、ごった煮的な感じとしては全くダメというわけでもない」(プロジェクトでのご意見)とのこと、なるほどそういうご意見もあるのですね……。たしかに神道は多神教で他教にも寛容で影響し合っている面はあると思いますし、日本人も宗教についてあまり細かいことは気にしない方が多いという面もあるとは思います。しかし、だからといって「神道」という記事内においてまで、神道と仏教とを混同してよいという理由にはならないように思います。もちろん、神仏分離までは神道と日本仏教は密接にかかわっており神社と寺院が同一敷地内という例すらあるというのはわかりますし、神仏混淆などにより他宗教の神が神道の神と同一視される場合があることは理解しているつもりです。
たとえば、七福神の大黒様としておなじみの大黒天は、インドヒンドゥー教の神々の一柱であるシヴァ天部の仏教の神として日本に伝わりました。その結果、神道の神々の一柱である大国主神習合し、ときに大黒天と大国主神が同一の存在であるかのように扱われることもあります(どちらも音読みすれば「ダイコク」ですし)。私の知人の中にも、なんと島根県民なのに「出雲大社には大黒様が祀られている」と勘違いしてたという人もいました。とはいえ、記紀神話に大黒天は一切登場せず、登場するのはあくまで大国主神です。有名な因幡の白兎の逸話も、日本の因幡国らしき地を舞台にした大国主神に関する逸話であり、インドを舞台にシヴァが登場する逸話ではないでしょう(因幡の白兎について唄った童謡のタイトルが『大黒様』なので混乱することもあるかなと思いますが……)。したがって、たとえば寺院に祀られている「大黒天像」の写真をもし「神道を代表するもの」としてわざわざ掲載すれば違和感を覚えると思います。また、本地垂迹説などで仏教の大日如来と神道の天照大御神が習合した話も分かりやすい例かと思います。大日如来は如来ですから仏教の仏であり、習合したからといって寺院に祀られている「大日如来像」の写真をもし「神道を代表するもの」としてわざわざ扱うのは違和感を覚えると思います。大国主神や天照大御神といった存在を差し置いて、わざわざ寺院の「大黒天像」や「大日如来像」の写真を使う必要性は薄いでしょう。
まして「だるま」の場合は、それらの事例よりもさらに違和感を覚えると思います。達磨祖師は神道の神と習合したわけではありませんし、達磨祖師が神道の神と同一視されることもないでしょう。もちろん私が知らないだけで各地の伝承を探せばそういう話もあるのかもしれませんが、人口に膾炙しているとは言い難いですよね。「達磨権現」とか「達磨明神」のような神も聞いたことがありませんし。縁起物として出店で的屋が売っていることはあるかもしれませんが、神宮大麻などの神符のように神社の社家が自ら頒布することはないでしょう。だるまはあくまでインド仏教の僧侶を模した置物であり、だるまの写真を「神道を代表するもの」のように扱うのは違和感を感じるのです。そもそもこのだるまの写真の撮影場所は仏教寺院であり、神社の境内ですらありません。--126.244.164.195 2021年1月15日 (金) 09:30 (UTC)[返信]
柒月例祭さん、プロジェクトでのご意見ありがとうございます。「この手のコラージュ画像は、全体としての「映え」というか、パッと見の印象重視でいい」(プロジェクトでのご意見)「1つ1つの構成要素にガチガチの説明や論理みたいなものは求めていなくて、画面構成とか色合いとかで選んでいい」(プロジェクトでのご意見)とのこと、なるほどそういうご意見もあるのですね……。たしかに赤い色合いは目にも鮮やかだとは思いますが、だからといって神道を代表するかのような画像「Montage of Shinto.png」にだるまの写真を混ぜる必要はないと思うんですが、あまり気にする方はいらっしゃらないんですね。でもウィキペディアの記事の文章に沿える画像なのですから、記事の文章の理解を助けるような画像じゃないとあまり意味がないと思います。したがって記事の内容的には、やはりあまりにも神道要素のない写真を混ぜる必要性はないと思います。「画面構成」や「色合い」を大事にした「パッと見の印象重視」というのも写真のひとつの楽しみ方として理解はできますが、やはり「神道」の記事冒頭に貼っている以上、神道という概念を写真で表そうという目的で作られた画像とお見受けしますので、「1つ1つの構成要素」について神道といかに関係が深いのかという「説明や論理」がないと困ると思うんですよね。もちろん、この画像が「日本の伝統文化」のようなコラージュならばだるまもよいと思いますが……。「画面構成」や「色合い」や「パッと見の印象」よりも、記事の内容や関連性、正確性も重要ではないかと思いますがいかがでしょうか。--126.244.164.195 2021年1月15日 (金) 09:41 (UTC)[返信]
「プロジェクト:神道かPortal:神道で」というのは、井戸端と並行してやれとか井戸端への誘導をそこへ置いてくれという意味ではなく、井戸端での議論は終了して続きはそちらで、という意味だと思います。 --2001:240:241B:54E1:B2A5:3BBC:5C4F:BEF8 2021年1月16日 (土) 04:14 (UTC)[返信]
上でも指摘がありますが、議論の場所が分かれてしまっています。念のため、以降の議論は「プロジェクト‐ノート:神道#神道を表す画像に「だるま」が?」で進行するよう、改めてよろしくお願いします。--しんぎんぐきゃっと会話) 2021年1月17日 (日) 09:16 (UTC)リンク修正--しんぎんぐきゃっと会話2021年1月18日 (月) 01:25 (UTC)[返信]