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天照大神

日本神話における太陽神
天照大御神から転送)

天照大神(あまてらすおおかみ)、または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話主神として登場する[1]女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神にして日本国民総氏神[注釈 1]であるとされる。『記紀』において、アマテラスは太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

天照大御神
『岩戸神楽ノ起顕』(部分)
1857年安政4年)歌川国貞

先代 伊邪那岐命
次代 天忍穂耳命

神祇 天津神
全名 天照大御神
別名 大日孁貴神、大日女尊大日霊、大日女、天照日女之命、天照孁女貴、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
別称 天照大神、天照皇大神、皇大御神、天照坐皇大御神
神階 神階を超越
神格 高天原主神、太陽神、幡織神、農業神、皇祖神
陵所 伝承あり
伊邪那岐命
伊弉冉尊(日本書紀のみ記述あり)
兄弟姉妹 ツクヨミ、スサノオ
配偶者 スサノオ(なしとする説あり)
五男三女神(本文中参照)
神社 神宮皇大神宮(内宮)、神明神社 など
記紀等 古事記日本書紀先代旧事本紀古語拾遺などに登場
関連氏族 大王家皇室
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延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。 天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名[3]

名称編集

古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)[4]。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[5]大日霊(おおひるめ)[6]大日女(おおひめ)[7]とされている。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う[8]

なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)など[注釈 2]わずかしか見られない[9]

系譜編集

ツクヨミ同様、明確な性別の記載があるわけではないが、『日本書紀』ではスサノヲに姉と呼ばれていること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いことなどから、古来より一般に女神と解されている。

別名の「オホヒルメノムチ(大日孁貴)」の「オホ(大)」は尊称、「ムチ(貴)」は「高貴な者」、「ヒルメ(日孁)」は「日の女神」[11]を表す。但し「孁」は「巫」と同義であり、古来は太陽神に仕える巫女であったとも考えられる[12]を意味する。「ヒコ(彦)・ヒメ(姫・媛)」、「ヲトコ(男)・ヲトメ」、「イラツコ(郎子)・イラツメ(郎女)」など、古い日本語には伝統的に男性を「(子)」・女性を「メ(女)」の音で表す例がみられ、この点からも女神ととらえられる[13]。後述するように中世には仏と同一視されたり、男神説等も広まった[14]

天照大神のモデルは淮南子や山海経などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和が該当するとする説もある[15]。 淮南子の冒頭と日本書紀の冒頭が重なる部分が存在する事から記紀の執筆者が淮南子を読んでいたのは間違いないとされる[16][要出典]

天照大神は太陽神としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田のを作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある[17]。ただし、「メ(女)」という語を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる[18]

もとはツングース系民族の太陽神として考えると、本来は皇室始祖の男神であり、女神としてその造形には、女帝推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある[19][20]。兵庫県西宮市の廣田神社は天照大神の荒御魂を祀る大社で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)という祭神名のまたの名が伝わる。これは天照大神を祀る正殿には伝わらない神名であるが、荒祭宮の荒御魂が女神であることの証左とされる。

天照大神からの皇室家系図編集

神話での記述編集

 
天皇系図 神代 「古事記」より

『日本書紀』においては、

  • 第五段の本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が自然の神を産んだ後に大日霎貴(おおひるめのむち)を産んでいる。
  • 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日霎貴が生まれている。
  • 第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれている。

古事記編集

『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれた建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)。

海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言する[注釈 3](「アマテラスとスサノオの誓約」を参照)。

このとき天照大御神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である[注釈 4]

これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「天岩戸」を参照)。

大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神(イザナギとイザナミ)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に渡して降臨させることにし、天津神(あまつかみ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「葦原中国平定」「天孫降臨」を参照)。その時八尺鏡を自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた。

神仏習合と天照大神の男神説編集

中世の神仏混淆本地垂迹説が広まると、天竺インド)の仏が神の姿をとなり、日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになる[22][23]

平安末期の武士の台頭や神仏混淆が強まると以前より指摘されていた天照大神の男神説が広まり、中世神話などに姿を残した[24][注釈 5]

天照大神男神説編集

神道において、陰陽二元論が日本書紀国産みにも語られており、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。この組み合わせはギリシャ神話でも同じで、太陽神のアポロと月神のアルテミスは兄妹神の組合せで生まれている。

平安時代、『寛治四年十一月四日伊勢奉幣使記』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性用の衣装であって、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経はこれを典拠にして、『左経記』の宇佐への女子用装束と比較して、「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。また、『山槐記』永暦二年(1161)四月廿二日条、『兵範記』仁安四年(1169)正月廿六日条にも内宮に男子装束が奉納された記事がある。

京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。江戸時代、円空は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵には天照大神が男神として描かれているものがある。京丹後市久美浜町布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。また、藤原不比等が女性が天皇に即位できるように記紀を作り替えたとも言われる[25]

江戸時代には荻生徂徠山片蟠桃などを筆頭に天照大御神の男神説が数多く主張されており、明治移行も津田左右吉松前健楠戸義昭武光誠筑紫申真溝口睦子宝賀寿男などに男神説が見られる。

ただし前述のように現在では国学時代に主流となった女神説が一般的であり、伊勢神宮を始め各神社でも女神としている。また、現代語訳本や漫画においても女神として描かれることが主流である。

なお、日本国内の諸説から離れて比較神話学の立場から見た場合、世界的に太陽神は男神よりも女神とされることが多かったという指摘もある。詳細は「太陽神」の項目を参照のこと。太陽女神(あるいは、女神とされることもある太陽神)の例としては、ソールサウレシャマシュシャプシュマリナ羲和トカプチュプカムイなどがある。

一方日本神話をギリシャ神話ローマ神話と同じ性格の「神話」・「虚構」と位置づけることに反対し、上古東アジアの神話、習俗、祭祀の事情から男神であったとする説もある。これは東夷北狄系の民族が「天・太陽」を崇敬し、鳥のトーテミズムがあり、「地域移動」を高所・天からの降下(天降り・天孫降臨)と受けとめる考え方があったからとされる。日本の上古支配氏族である天孫族天皇家や高天原起源の諸豪族)と東夷同系の種族とみられる高句麗王家では、始祖の朱蒙が日光に感精した河伯の娘から卵で産まれたという伝承をもつ。日本と高句麗との間には、王者の収穫祭が即位式に結びつく点、穀物起源神話や王者の狩猟の習俗などで、両者の王権文化は多くの共通点をもっており、この他、朝鮮半島では天日槍命関係の伝承に見るように、日光による受胎神話が多く見られており、これらは太陽が男神であることを示すものであるとされる。始祖の卵生伝承も、中国・朝鮮半島に多く、日本にも多少伝わっているとされる。また『姓氏録』などの記録において、女性を始祖とする氏族が一つも記載されていないことも、天照大御神が女神たりえなかった根拠とされる[26]

福永光司は著作『「馬」の文化と「船」の文化』で、中国北方の「馬」の文化では太陽を男性とみなし、南方の「呉越・越の海岸地区」の「船」の文化では太陽が女性として信仰され、沖縄の『おもろ』の創世神話では太陽神は女性とされたいたと主張する。

各仏教宗派の教学編集

仏教界においては、宗派にもよるがちょうど八幡神(やはた/ハチマン)のように「てんしょうだいじん」と音読みで読まれることが多い。

真言宗
真言宗では天照大神を大日如来化身と見ていた[27](詳しくは両部神道の項へ)
日蓮宗法華宗
日蓮は御書の中で自身の出身地である安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市の大半)を、天照大神の日本第一の御厨東条御厨)であると記している。日蓮は天照大神と八幡大菩薩を日本の法華経守護の善神の筆頭とし十界曼荼羅に勧請しており[28]、その本地を釈迦牟尼仏だとしている[29]。現在でも日蓮宗・法華宗の寺院では三十番神の一柱として天照大神が祀られている姿が見られる。
昭和になると日蓮宗・法華宗各派は、日蓮が御書にて天照大神を帝釈天や梵天などのインドの神と比べて「小神」と呼んだこと、「天照大神」という文字が十界曼荼羅の中で鬼子母神八大龍王などよりも下に書かれていることなどが問題視され、法華宗が不敬罪で訴えられる事件となった[30]

山号編集

以下の寺院が、「天照山」を山号とする。

近代編集

1880年明治13年) - 1881年(明治14年)、東京の日比谷に設けた神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が起こった[31]。神道事務局は、事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神高御産巣日神神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、これに対して「出雲派」は、「幽顕一如」(あの世とこの世との一体性)を掲げ、祭神を「幽界」(あの世)を支配する大国主大神を加えた五柱にすべきだと主張した[31]

しかし、神道事務局の中心を担っていた「伊勢派」は、天照大御神は顕幽両界を支配する「天地大主宰」であり、他の神々はその臣下にすぎないと主張するなど、両派は真っ向から対立した[31]。果てには、「出雲派が神代より続く積年の宿怨を晴らさんとしている」「皇室に不逞な心を持っている千家尊福を誅殺すべし」など、様々な風説が飛び交った。やがてこの論争は明治天皇の勅裁により収拾(出雲派が敗北)し、天照大神の神格は最高位に位置づけられることになった[31]

なお、政府は神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したと言われている[32]

芥川龍之介は自身の小説にて天照御大神を登場させる際、「天照大御神」と言う呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまう事になるため、太陽神、それも自然神という性格付けで別名の「大日貴」(おおひるめむち)を用いた。実際、芥川の小説には検閲によって訂正・加筆・削除を強いられた箇所が多数存在する[33]

日本全国の神社本庁傘下の神社で皇大神宮(天照皇大神宮)の神札(神宮大麻)を頒布している[注釈 6]

天照大神を祀る神社編集

 
八咫鏡と同型鏡とされる大型内行花文鏡

全国の天照大神伝承編集

 
天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年(1887年))

天照大神の伝承は各地に存在する。

  • 木曽山脈恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたという伝承が残る[36]
  • 長野県戸隠山の戸隠神社には天岩戸の伝承が残る[17]
  • 三重県のめずらし峠は、天照大神と天児屋根命が出会ったという伝承が残っている[37]
  • 奈良県の與喜(よき)山には天照大神が降臨した伝承が伝わっている[38]。また、長谷寺の本尊十一面観世音菩薩立像の左脇侍雨宝童子立像は、天照大神として信仰されており、頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、を着し袍衣を纏った姿をしている[39]
  • 島根県隠岐は天照大神が行幸の際、そこに生育していた大木を「おおき」と感動して呼んだことが隠岐の名の起源であるという伝承が残る[40]
  • 鳥取県因幡八上郡には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわしい地として、現在も八頭町鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる[41]。八頭町の青龍寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置いたという伝承が残っている[41]。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を遷座したものと伝えられるが、の具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である。
  • 同じく鳥取県八上の氷ノ山(ひょうのせん)の麓、若桜町舂米(つくよね)には天照大神が大群を従えての行幸伝承とともに、天照大神が作ったとされる和歌が伝わっている[42]2007年(平成19年)、若桜町舂米地区内で天照大神が腰掛けをしたさざれ石が発見された[43]
  • 氷ノ山の名は、天照大神が樹氷の美しさに感動して日枝(ひえ)の山と呼んだことが起源とされ、氷ノ越えの峠(ここにもかつて白兎を祀る因幡堂があった)を通って因幡をあとにしたとされる[44]
  • 現在は存在しないが、熊本県八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる[45]
  • 宮崎県高千穂町岩戸にあり天照大神を祭神とする天岩戸神社の周辺には、岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸をはじめ、複数の神話史跡や関連の地名が残る。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 「皇大神宮は、内宮(ないくう)とも呼ばれ、御祭神は皇室の御先祖神と尊ばれ、また、国民の総氏神と仰がれている天照大神(あまてらすおおみかみ)です。」[2]
  2. ^ 布波能母遅久奴須奴神八島牟遅能神などにも見られる。
  3. ^ 「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」[21]
  4. ^ 日本書紀には6柱とする説もある
  5. ^ 中世神話では主に男性神として、中世に編纂された『日諱貴本紀』には両性具有神として描写される。
  6. ^ 1871年12月22日、政府は伊勢神宮の神宮大麻を地方官を通して全国700万戸に1体2銭で強制配布することに決め、翌年から実施した。1878年(明治11年)以後は受不受は自由となったが、依然として地方官が関与してトラブルを生ずることがあった[34]

出典編集

  1. ^ 天照大神/天照大御神(あまてらすおおみかみ)の意味”. goo国語辞書. 2019年11月28日閲覧。
  2. ^ 鹿児島県神社庁 2017年12月9日閲覧。
  3. ^ a b 『八百万の神々』
  4. ^ 『日本書紀上』p.86、日本古典文学大系、岩波書店
  5. ^ Akimitsu (2013年). “神戸市東灘区 西岡本からのお知らせ”. 神戸市東灘区西岡本. 2013年6月16日閲覧。
  6. ^ 石川県神社庁 (2008年). “神社を探す ― 大日霊神社/おおひるめじんじゃ”. 石川県神社庁. 2013年6月16日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 岐阜県神社庁 (2011年). “大日女神社 (おおひめじんじゃ)”. 岐阜県神社庁. 2013年6月16日閲覧。
  8. ^ a b 『日本の神々の事典』[要文献特定詳細情報]
  9. ^ 次田潤『新版祝詞新講』p.506、戎光祥出版、2008年。
  10. ^ 『古事記の本』学研、2006年、81頁。
  11. ^ 『日本国語大辞典』[要文献特定詳細情報]
  12. ^ 1927-2016., Ueda, Masaaki,; 1927-, 上田正昭, (Heisei 22 [2010]). Nihon shinwa (Shinpan, saihan ed.). Tōkyō: Kadokawa Gakugei Shuppan. ISBN 9784044094249. OCLC 650211550. https://www.worldcat.org/oclc/650211550. 
  13. ^ 溝口睦子『アマテラスの誕生』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  14. ^ 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
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  16. ^ 淮南子
  17. ^ a b 『神道の本』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  18. ^ 溝口睦子『アマテラスの誕生』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  19. ^ 概説日本思想史 編集委員代表 佐藤弘夫(吉田一彦)[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
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  21. ^ 『古事記』
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  24. ^ 上島享「中世王権の創出とその正統性」『日本中世社会の形成と王権』[要文献特定詳細情報]
  25. ^ 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  26. ^ 宝賀寿男天照大神は女性神なのか」『古樹紀之房間』、2010年。
  27. ^ 伊藤 2003, pp. 73-71.
  28. ^ 『日蓮宗辞典』日蓮宗事典刊行委員会 1999年5月
  29. ^ 『日蓮聖人の国神観』日蓮聖人と国神観 山川智應 1940年5月[要ページ番号]
  30. ^ 『曼陀羅国神不敬事件の真相―戦時下宗教弾圧受難の血涙記』小笠原日堂、礫川全次 2015年2月[要ページ番号]
  31. ^ a b c d 『古神道の本 甦る太古神と秘教霊学の全貌』学研[要ページ番号]
  32. ^ 『日本史大事典』 平凡社 1993年
  33. ^ 芥川龍之介 『澄江堂雑記』
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  35. ^ 京都府宮津市 (2016年). “籠宮大社”. 2016年4月9日閲覧。
  36. ^ 『日本の山1000』山と溪谷社〈山溪カラー名鑑〉、1992年8月、p.355。ISBN 4635090256
  37. ^ めずらし峠の観光施設・周辺情報‐観光三重” (日本語). 三重県観光連盟. 2011年12月24日閲覧。
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  43. ^ 日本海新聞平成21年6月10日
  44. ^ 若桜町の位置/若桜町” (日本語). 若桜町. 2013年5月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
  45. ^ 森本一瑞『肥後国誌』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]

参考文献編集

  • 戸部民夫 『八百万の神々 日本の神霊たちのプロフィール』 新紀元社 1997年
  • 薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研 1997年
  • 『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦ほか、学研「ブックス・エソテリカ」 1992年
  • 佐藤 弘夫『アマテラスの変貌 - 中世神仏交渉史の視座』法蔵館、2000年8月、227頁。ISBN 9784831871299
  • 伊藤 聡「天照大神=大日如来習合説をめぐって(上)」『茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集』第39巻、茨城大学人文学部、2003年3月、 74-58頁。

関連項目編集

先代:
-
地神五代
次代:
天忍穂耳尊