Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/金 (王朝) 20221206

金 (王朝)ノート / 履歴 / ログ / リンク元 編集

選考終了日時:2022年12月20日 (火) 13:55 (UTC)

私が確認したところ、この記事を大幅加筆した利用者:Zomba2022wataru会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏の編集には州県制撒改北京の歴史といった他記事でも同様の傾向が見られます。
また、本記事中に頻出する固有名詞である「女真」「ジュシェン」や「契丹」「キタン」の使い分けの基準が不明瞭であったり、人物名に女真名と漢名が入り混じっていたりと疑問が残ります。
以上の点から「良質な記事」にはふさわしくないと考え、反対いたします。同利用者によって大幅加筆され、既に良質な記事に選出されているニヴフウィルタウデヘ満洲民族、2022年9月の月間強化記事賞を受賞したナナイ、同年11月の月間強化記事賞を受賞して現時点で良質な記事として選考に出されている燕雲十六州についても検証が必要になってくるかもしれません。--F.M.H会話) 2022年12月18日 (日) 11:15 (UTC)一部追記しました。--F.M.H会話2022年12月20日 (火) 11:38 (UTC)[返信]
  •   コメント 出典との一致の件 『東北アジアの民族と歴史』〈民族の世界史3〉山川出版社について改めて確認しましたが、難しいラインだと感じました。同書のみを出典としている文の場合、出典を見れば下敷きになった文章は概ねわかりますし、「その言語は、満洲語と姉妹語関係にあったというよりは、むしろ方言的関係にあって、広義の満洲語のなかに没していったものと考えられる」などは文末などの細かい言い回しを変更しただけとは言えると思います(これは同書を出典とする部分について、出典そのままの要素が強い文です)。ただ、同書からの引用については全てが問題ありと言えるわけでもないです。文毎に出典を持つことが望まれるWikipediaにおいて、ある文の出典が1つだとしたら出典元とこの程度の一致は当然現れるような気もします。より多用されている出典については未確認なので全体の傾向については保留ですが、とりあえず一旦賛成票を取り下げます。--TEN会話2022年12月19日 (月) 16:18 (UTC)[返信]
    •   コメント 一文そのものを丸写ししている部分は確認した限りでは発見できず、異なる表現で言い換えている部分も見受けられるため、TENさんのご指摘にあるように、判断が難しい部分はあると思います。良質な記事の選考に多く関わっておられるTENさんにとっては「出典元とこの程度の一致は当然現れる」という印象を抱かれるかもしれませんが、私にとっては一概に問題なしとはいえない量の一致であると感じたため、以下に例を挙げます。なお、『世界の歴史7 宋と中央ユーラシア』については文庫化前のものを参照しているため、出典として提示されているものとページ数が異なります。


遼支配下の女真人」節
「領土内に~戸籍に」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「女真」の表現と同一です。
注釈部「926年に~支配を受けた。」 - 梅村「強さの秘密」小節 p.370の表現と同一です。
金の建国と華北進出」節
「鷹をもとめて~経由し」 - 梅村「ジェシェンのまとまりと大金国」小節 p.365の表現と同一です。
「遼は~たっとぶのだ。」 - 梅村「ジェシェンのまとまりと大金国」小節 p.366にある、『金史』巻二(コメント注:太祖本紀にある「遼以賓鐵爲號、取其堅也。賓鐵雖堅、終亦變壞、惟金不變不壞。金之色白、完顏部色尚白」)の現代日本語訳からの引用ですが、固有名詞の表記や助詞に違いがあり、出典から正確に引用していません。Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件の「8.被引用文を改変しないこと」に抵触する可能性があると考えます。
「黄龍府を~みずから」 - 梅村「ジェシェンのまとまりと大金国」小節 p.366の表現と同一です。
「キタンは~申し入れ」 - 梅村「ジェシェンのまとまりと大金国」小節 p.366の表現と同一です。
「まわさざるを~遅れた」 - 梅村「金と宋」小節 p.367の表現と同一です。
「遼の天祚帝と~攪乱をねらった」 - 梅村「金と宋」小節 p.368の表現と同一です。
「宋の背信~露見した」 - 梅村「金と宋」小節 p.368の表現と同一です。
「宋が金の~名目を」 - 梅村「金と宋」小節 p.368の表現と同一です。
華北支配へ」節
「金の軍事的な限界点を示し」 - 出典としていると考えられる梅村「強さの秘密」小節 p.370では「軍事面はともかく」とこの部分でやや肯定的な評価をしています。
「楚国を~名目で」 - 宮澤・杉山「金朝の成立と河北の獲得」小節 p.208の表現と同一です。
注釈部「外地での行政権を剥奪されて没落」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「汴京(開封)を~直接支配に」 - 梅村「強さの秘密」小節 p.371の表現と同一です。
「1138年~成立した」 - 宮澤・杉山「金朝の成立と河北の獲得」小節 p.210の表現と同一です。
「金内部の~破棄され」 - 宮澤・杉山「金朝の成立と河北の獲得」小節 p.210の表現と同一です。
「主戦派の岳飛は~処刑された」 - 宮澤・杉山「金朝の成立と河北の獲得」小節 p.210の表現と同一です。
「1124年にはタングート~臣礼を受けていた」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.373の表現と同一です。
漢化の進展とその抑制」節
「酒乱~常軌を逸」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.373の表現と同一です。
「穏便な~強制的な徴兵」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.375の表現とほぼ同一です。
「中書省を廃止~完成させた。」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「中国的専制国家へ」節の表現と同一です。
金王朝の衰退」節
「さらに金は~得た」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.377の表現と同一です。
「宋軍は自力で~明らかになった」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.377の表現と同一です。
金の滅亡」節
「ジュシェン金~入り乱れての」 - 梅村「金の変質と衰退」小節 p.377の表現と同一です。
略年表」節
多少表現が異なる部分がありますが、出典提示がない部分も含めてほとんどが梅村「第7巻関係年表」節 pp.459-464からの引き写しです。Wikipedia:著作権問題#コピー&ペーストしたものを多少変えた記事・一部利用した記事についての「b) 職歴などのリストが主で、事実記述に終始しているもの」に合致しているとは考えにくい(事実の選択、配列、表現などに創作性がある表現を利用している)と思います。
金の皇帝」節
「至るまで~太祖がそれである。」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の建国」節の表現とほぼ同一です。
勃極烈(ボギレ)制と三省制」節
「金には建国以前から勃極烈(ボギレ)と呼ばれる君長層がおり」とありますが、出典としていると考えられる梅村「強さの秘密」小節 pp.368-369では建国前からあったのはボギレではなく「ミンガン-ムクン」としています。
「1121年以降~運営された」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「諮問~政務執行機関」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「数人の~分掌していた」 - 梅村「強さの秘密」小節 p.370の表現と同一です。
「三省の~科挙も実施された。」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「三省を統領~領三省事が」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「煕宗の時代~過渡期であった」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
猛安(ミンガン)・謀克(ムクン)制」節
「上位の地方行政機関~統治した。」 - 河内(『金(中国の王朝)』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「金の制度」節の表現と同一です。
「もっぱら~組織する制度」 - 梅村「強さの秘密」小節 p.370の表現と同一です。
言語・文字」節
「世界中の言語学者~充分な解読には」 - 梅村「アルタイ語の世界」小節 p.402の表現と同一です。
「表音文字だけで~ともなう」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.409の表現と同一です。
「上から下に~右から左へ」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.409の表現と同一です。
「文字の~解明されつつある」 - 梅村「ジュシェン語―満洲語の祖先」小節 p.408の表現と同一です。
「しても、減った~残っていた」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.410の表現と同一です。
「世宗は~女真語を」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.410の表現と同一です。
「ジュシェン人で~おこなわせた。」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.410の表現と同一です。
「文字を読めなければ~強制を」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.410の表現と同一です。
「明朝の~なかに」 - 梅村「ジュシェンの文字」小節 p.411の表現と同一です。
文学・歴史」節
「風格が高く~開拓した」 - (『元好問』 - コトバンク)『百科事典マイペディア』「元好問」の表現と同一です。
「支配下で~保持を」 - (『元好問』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「元好問」の表現とほぼ同一です。
「『金史』は~よるところが」 - (『元好問』 - コトバンク)『日本大百科全書(ニッポニカ)』「元好問」の表現と同一です。
「文集~がある。 」 - (『王庭筠』 - コトバンク)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「王庭筠」の表現と同一です。
実際に出典を参照してみましたが、出典表記がページ毎でなかったり、大章表記だったりと、(個人の裁量に委ねられる部分はあると思いますが)その点でも問題なしとは言えない部分があるのではないかと感じました。--F.M.H会話2022年12月20日 (火) 11:38 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成2票、反対1票より、見送り。--Family27390会話) 2022年12月20日 (火) 14:25 (UTC) 修正--Family27390会話2022年12月20日 (火) 14:34 (UTC)[返信]