鶴田任男
鶴田 任男(つるた たかお、1931年3月25日[1] - 2011年10月17日[3])は、日本の実業家、政治家、馬主。
つるた たかお 鶴田 任男 | |
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生誕 |
1931年3月25日[1] 日本 宮崎県北諸県郡三股町[1] |
死没 | 2011年10月17日(80歳没)[2][3] |
職業 | |
肩書き | |
配偶者 | 鶴田 鈴子[5] |
経歴
編集1931年生まれ[1]。戦後に福岡県の炭鉱に3年間勤めたのち父親の瓦工業の仕事を継ぐ[1]。その後建築関連の仕事を始め、ホテルやパチンコホールの経営にも携わった[1]。1980年には、地元である宮崎県三股町の町議会議員となっている[2]。2011年に死去[3][5]。80歳没。
略歴
編集馬主活動
編集日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は紫、黄山形二本輪、桃袖、冠名は「ツルマル」を用いた。主に橋口弘次郎厩舎、坂口正則厩舎などに所有馬を預託していた。任男の死後は、妻の鶴田鈴子が相続限定馬主として所有馬を引き継ぎ[5]、その中の一頭であったツルマルレオンで北九州記念を制している。
馬名の命名は初めは自ら行っていたが、その後は調教師や担当厩務員に任せていたという[1]。
エピソード
編集前述した調教師の橋口弘次郎は、鶴田と同じく三股町出身であり、親交が深かった。実家も近かったという[1]。1989年の阪神3歳ステークス1番人気3着、翌年の東京優駿4着などの実績を残したツルマルミマタオーは、「三股町の名を全国に広げよう」と橋口と話して名付けた名前であった[1]。また、所有馬のローテーションや騎手の起用、引退後の繁殖牝馬の配合に至るまで、鶴田は橋口に一任していた[5]。
来歴
編集主な所有馬
編集GI競走優勝馬
編集重賞競走優勝馬
編集- ツルマルガール(1994年朝日チャレンジカップ)
- ツルマルガイセン(1998年中日新聞杯、カブトヤマ記念)
- ツルマルツヨシ(1999年朝日チャレンジカップ、京都大賞典)
- ツルマルレオン(2013年北九州記念[注 1])
その他の所有馬
編集- ツルマルミマタオー(1989年野地菊ステークス、もみじステークス、阪神3歳ステークス3着、1990年弥生賞2着、京都4歳特別2着)
- ツルマルベッピン(1989年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス2着)
- ツルマルモチオー(1991年菜の花ステークス)
- ツルマルザムライ(2001年シルクロードステークス3着)[注 2]
- ツルマルファイター(2003年プロキオンステークス2着、シリウスステークス2着、2005年すばるステークス)
- ツルマルヨカニセ(2005北九州記念2着、小倉記念3着、朝日チャレンジカップ3着、2006年小倉日経オープン)
- ツルマルジュピター(2009年京王杯2歳ステークス3着)
- ツルマルワンピース(ブラストワンピースの母)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 週刊競馬ブック 2004年7月11日号 P212-214
- ^ a b c d e f “都城サンプラザホテル会長・鶴田任男の人生”. SUNPLAZA STAFF BLOG. サンプラザホテル (2011年12月4日). 2011年12月8日閲覧。
- ^ a b c “馬主の鶴田任男氏が死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2011年10月21日). 2023年2月17日閲覧。
- ^ “会社概要”. サンプラザホテル. 2011年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e “【名馬は一日にして成らず】夢に架ける橋(38)”. サンケイスポーツ (2015年7月13日). 2023年2月17日閲覧。