斉藤 知三郎(さいとう ともさぶろう、昭和22年(1947年4月19日[1] - 平成13年(2001年5月6日)は、日本実業家

来歴・人物

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大昭和製紙2代目社長・斉藤了英の三男として静岡県吉原市(現富士市)に生まれた[2]早大理数科卒[3]大昭和製紙監査役を務めた[4]2001年(平成13年)5月6日胃がんのため東京都中央区の病院で54歳にて死亡[4]

家族・親族

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知三郎は大昭和製紙創業者斉藤知一郎の孫にあたる[5]政治家斉藤滋与史と元大昭和製紙社長の斉藤喜久蔵は叔父[5][6]、政治家の斉藤斗志二は兄で元ジーク証券会長兼社長の斉藤四方司は弟[2][6]

妻は材木商・中曽根吉太郎の五女[2][3]。吉太郎の弟、すなわち知三郎の妻の叔父は元首相の中曽根康弘[2][3]。吉太郎の三女の夫、すなわち知三郎の義兄・川上冽は天文学者平山信の孫にあたる[2]

参考文献

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脚注・出典

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)さ129頁
  2. ^ a b c d e 佐藤『閨閥』、312-313頁、317頁。
  3. ^ a b c 佐藤『豪閥』、187頁。
  4. ^ a b 斉藤知三郎氏死去/大昭和製紙監査役
  5. ^ a b 佐藤『閨閥』、312-313頁。
  6. ^ a b 佐藤『豪閥』、184-185頁。