数原三郎

日本の実業家 (1890-1968)。三菱鉛筆社長、会長

数原 三郎(すはら さぶろう、明治23年(1890年1月1日 - 昭和43年(1968年5月24日)は、日本実業家三菱鉛筆会長[1]経済団体連合会東京都商工信用金庫理事[1]日本中小企業連盟東京貿易会各会長[1]資産再評価審議会委員[1]日本関税協会常任理事[1]三菱鉛筆社長数原英一郎の祖父。

経歴・人物像

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静岡県榛原郡初倉村に生まれた[2]数原国蔵の四男[1]

明治44年(1911年東京高工応用化学科卒業[1]島根県日本夏帽各勤務を経て大正11年(1922年)大和鉛筆工場長となり真崎大和鉛筆創立に際し取締役に就任[1]。昭和20年(1945年)7月社長に選ばれ三菱鉛筆と改称後も引続き在任す[1]

宗教浄土宗[2]仏教[1]。趣味は[1]。住所は東京都品川区大井林町。墓所は養玉院如来寺[1]

家族・親族

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数原家

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静岡県榛原郡初倉村(現島田市)、東京都
同妻・恭子兵庫県士族間組顧問平形知一四女[1]
同長男・英一郎[1](実業家)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 第廿一版 人事興信録(上)』(昭和36年)ス・八頁
  2. ^ a b c d e f g 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ス・九頁

外部リンク

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