古川卓巳
日本の映画監督、脚本家
古川 卓巳(ふるかわ たくみ、1917年3月27日[1] - 2018年10月4日[3])は、日本の映画監督。本名:岩崎卓己。香港では戴高美(タイ・カオメイ)名義で活動した[4]。
ふるかわ たくみ 古川 卓巳 | |
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キネマ旬報社『キネマ旬報』第144号(1956)より | |
本名 | 岩崎卓己 |
別名義 | 戴高美 |
生年月日 | 1917年3月27日 |
没年月日 | 2018年10月4日(101歳没) |
出生地 | 日本 東京都八王子市[1] |
死没地 | 日本 東京都[2] |
職業 | 映画監督、脚本家 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ |
活動期間 | 1955年 - 1970年代 |
経歴
編集1955年に『地獄の用心棒』(三國連太郎主演)で監督デビュー[5]。1956年、石原慎太郎の同名小説を映画化した『太陽の季節』で成功を収める[6]。同年、岩橋邦枝の小説に基づく『逆光線』を監督する[7]。1967年、「戴高美」名義で『黒鷹』と『風流鉄漢』という2本の香港映画を手がける[4]。
1960年代からはテレビでも活動し、『東京バイパス指令』(1968年 - 1970年、日本テレビ放送網・国際放映製作)、『鬼平犯科帳』(1969年、NETテレビ、8世松本幸四郎版第1シリーズ)などの演出も手掛けた。
監督作品
編集映画
編集- 地獄の用心棒(1955年)
- 若き魂の記録 七つボタン(1955年)
- 顔役(1955年)
- 太陽の季節(1956年)
- 逆光線(1956年)
- 沖縄の民(1956年)
- 人間魚雷出撃す(1956年)
- 私は前科者である(1957年)
- 反逆者(1957年)
- 九人の死刑囚(1957年)
- 麻薬3号(1958年)
- 血の岸壁(1958年)
- 獣のいる街(1958年)
- 逃亡者(1959年)
- 海は狂っている(1959年)
- 大学の暴れん坊(1959年)
- 俺は欺されない(1960年)
- 白い閃光(1960年)
- 借りは返すぜ(1960年)
- コルトが背中を狙ってる(1960年)
- 明日に向って突っ走れ(1961年)
- 兇悪の波止場(1961年)
- 野獣の門(1961年)
- 姿なき追跡者(1962年)
- ブルータウン 青い街の狼(1962年)
- 青い街の狼(1962年)
- 銃弾の嵐(1962年)
- 望郷の海(1962年)
- 海の鷹(1963年)
- 俺は地獄の部隊長(1963年)
- 拳銃残酷物語(1964年)
- 死にざまを見ろ(1964年)
- ギャングの肖像(1965年)
- 黒鷹 Black Falcon(1967年)
- 風流鉄漢 Kiss and Kill(1967年)
テレビドラマ
編集- 特ダネ記者 第12話演出・第50話脚本(日本テレビ、1966年-1967年)
- 秘密指令883 第6話(フジテレビ、1967年)
- 剣 第45話(日本テレビ、1968年)
- 37階の男 第7・8話(日本テレビ、1968年)
- 東京バイパス指令 第4・5・8・9・14・15・20・21話(日本テレビ、1968年-1969年)
- 右門捕物帖 第5・6・8・12話(日本テレビ、1969年)
- 鬼平犯科帳 第1シリーズ第13・16・31・63話(NET、1969年-1970年)
- 女殺し屋 花笠お竜 第21話(東京12チャンネル、1970年)
- 旗本退屈男 第18・22話(フジテレビ、1970年-1971年)
- 大忠臣蔵 第8・9話(NET、1971年)
- 浮世絵 女ねずみ小僧 第2シリーズ第2話(フジテレビ、1972年)
- ウルトラマンA 第35・46・47話(TBS、1972年-1973年)
脚注
編集- ^ a b “古川 卓巳 - 武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー所蔵 映像作品データベース”. 武蔵野美術大学. 2014年4月24日閲覧。
- ^ “映画監督の古川卓巳氏死去”. 時事通信. (2018年10月11日) 2018年10月11日閲覧。
- ^ a b “古川卓己さん101歳=映画監督 「太陽の季節」”. 毎日新聞. (2018年10月11日) 2018年10月11日閲覧。
- ^ a b 西本正、山田宏一、山根貞男『香港への道 中川信夫からブルース・リーへ』筑摩書房、2004年、159頁。
- ^ a b c “101歳大往生「太陽の季節」監督の古川卓己さんが死去”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2018年10月12日) 2018年10月12日閲覧。
- ^ Phil Hardy, ed (1997). The BFI Companion to Crime. University of California Press. p. 317
- ^ 関川夏央『昭和が明るかった頃』文藝春秋、2002年、89頁。