山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年大正14年〉2月4日[1] - 1992年平成4年〉4月1日[1])は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。

来歴

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神奈川県小田原市出身[1]。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業[1]国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局[1]1978年(昭和58年)退官[1]

医療金融公庫理事を務めた後、1985年昭和60年)の小田原市長選挙に立候補し、当選した[1]1989年でも再選。在職中の1992年に死去した。同年正四位勲三等瑞宝章

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『新訂 現代政治家人名事典』567頁。

参考文献

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先代
山内宏
国税庁東京国税局調査第一部長
1969年 - 1971年
次代
西沢公慶
先代
久保忠武
国税庁東京国税局調査第二部長
1970年
次代
矢島錦一郎
先代
中島進
国税庁東京国税局調査第三部長
1970年
次代
橋本平一
先代
横井正美
国税庁東京国税局総務部長
1971年 - 1973年
次代
系光家
先代
平石茂義
国税庁広島国税局長
1973年 - 1975年
次代
久保忠武
先代
徳田博美
大蔵省銀行局保険部長
1975年 - 1976年
次代
副島有年
先代
横井正美
国税庁次長
1976年 - 1977年
次代
谷口昇
先代
磯邊律男
国税庁東京国税局長
1977年 - 1978年
次代
渡部周治