島村三七雄
島村 三七雄(しまむら みなお、1904年(明治37年)7月9日[1][6] - 1978年(昭和53年)10月25日[1][6])とは、日本の洋画家[1][6][2]。大阪府大阪市北区出身[1]。
島村 三七雄 | |
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生誕 |
1904年7月9日[1] 日本・大阪府大阪市[1] |
死没 |
1978年10月25日(74歳没)[1][6] 日本・東京都板橋区[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京美術学校西洋画科[1][注釈 1] |
著名な実績 | 洋画 |
代表作 | 「巽橋」(1967年)[1] |
受賞 |
「舞妓集まる」(1964年)第32回独立展G賞[1] 「巽橋」(1967年)日本芸術院賞[1] 勲四等旭日小綬章[1] |
選出 |
独立美術協会会友(1940年)[1] 日本壁画会会員(1940年)[2] 独立美術協会会員(1945年)[1][3] 新樹会会員(1956年)[2] |
活動期間 | 1928年 - 1977年[1] |
影響を受けた 芸術家 | 藤島武二[2] |
影響を与えた 芸術家 | 絹谷幸二[4][5] |
来歴
編集1904年(明治37年)7月9日、大阪府大阪市北区に生まれる[1][6][2]。
1924年(大正13年)3月、大阪府立天王寺中学校卒業[1]。同年4月、東京美術学校西洋画科入学[1][8]。在学中の1928年(昭和3年)10月、帝展に「読書」が初入選[1]。翌1929年(昭和4年)、東京美術学校西洋画科を卒業[7][2][注釈 2]。
同年渡仏[2]、フランスで「午後」がサロン・ドートンヌ入選[2]。翌1930年(昭和5年)パリ国立美術学校のリュシアン・シモン教室に入学するも2年後の1932年(昭和7年)に中退する[1][2]。その後ポール・ランソンのアカデミー・ランソンでフレスコ画法を学び[2]、1933年(昭和8年)からサロン・デザルティスト・フランセに毎年出品を開始、翌1934年(昭和9年)出品の「ユゲット・トノン孃肖像」はマンション・オノラブル賞を受賞している[2]。帰国直前の1936年(昭和11年)までに「幼児の思い出」(1933年)「日本大使館付武官澄田中佐像」(1935年)など出品は続けられ、その後も入選を続けた[1][2]。同年帰国[2]。在仏中は学資を得るために壁画制作助手を務めた[1][2]。
1940年(昭和15年)5月、第4回日本壁画会展に「英霊に捧ぐ」「工業の日本」の2点を出品し日本壁画会会員となる[1][2]。同年独立美術協会の第10回独立展で「村婢」「支那楽」「駅」の3点を出品、独立賞[注釈 3]を受賞し会友に選出[1][6][2]。1946年(昭和21年)独立美術協会会員[6][2]。1956年(昭和31年)新樹会会員[2]。
1957年(昭和32年)、母校東京美術学校の後進である東京芸術大学にて講師となり壁画フレスコ画法を指導する[1][6][2]。1964年(昭和39年)、中間冊夫、山下大五郎、原精一らと欅会を結成[9]。
1966年(昭和41年)、第34回独立展出品作「巽橋」が昭和41年度第23回日本芸術院賞受賞[10]。同年東京芸術大学助教授を経て翌1967年(昭和42年)同校教授[1][2]、1971年(昭和46年)退官まで教職を続けた[2]。
1978年(昭和53年)10月25日、食道がんにより東京都板橋区の日大付属板橋病院で死去[1]、享年74[1][6]。没後、勲四等旭日小綬章受章[1]。
著作
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「島村三七雄」(2015年12月14日)、2016年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 20世紀日本人名事典. “島村 三七雄 シマムラ ミナオ”. コトバンク. 2016年10月6日閲覧。
- ^ “物故会員名簿”. 独立美術協会. 2016年10月6日閲覧。
- ^ “「黙示録 - 絹谷幸二」 展”. 丹青社. 2016年10月6日閲覧。
- ^ “特集連載『私の履歴書 ⑨』=洋画家 絹谷 幸二(きぬたに・こうじ)=”. 日経新聞: p. 44. (2015年11月10日)
- ^ a b c d e f g h i j デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “島村三七雄 しまむら みなお”. コトバンク. 2016年10月6日閲覧。
- ^ a b c “斎藤 二男 略歴”. 盛岡市 (2016年8月21日). 2016年10月6日閲覧。
- ^ “第44回放談会” (PDF). NPO法人あーと・わの会. p. 2 (2016年1月11日). 2016年10月6日閲覧。
- ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「山下大五郎」(2015年12月14日)、2016年10月6日閲覧。
- ^ “作品詳細”. 日本芸術院. 2016年10月6日閲覧。