織田 秀行(おだ ひでゆき)は、江戸時代中期の大名大和国柳本藩の第6代藩主。通称は虎丸、求馬。官位従五位下伊予守

 
織田秀行
時代 江戸時代中期
生誕 元禄10年7月7日1697年8月23日
死没 享保11年6月18日1726年7月17日
別名 通称:虎丸、求馬
戒名 巌光院殿本照宗能大居士
墓所 東京都渋谷区祥雲寺
官位 従五位下伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
大和柳本藩
氏族 織田氏(長益系尚長流)
父母 織田秀親:寺井氏娘・清蓮尼
養父織田成純
正室山口弘豊
なし
養子信方
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生涯

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第4代主・織田秀親の四男として誕生。

享保4年(1719年)2月12日、叔父で5代藩主の成純養嗣子となる。同年2月28日、第8代将軍・徳川吉宗御目見する。享保9年(1724年)12月3日、養父・成純の隠居により、家督を相続した。同年12月18日、従五位下伊予守に叙任する。

享保11年(1726年)6月18日、死去。享年30。末期養子として信方旗本織田信清の三男)を迎えた。墓所は祥雲寺。法号は巌光院殿本照宗能大居士。

系譜

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子女はなし。