新居日薩
日蓮宗の僧
新居 日薩(あらい にっさつ、1831年(天保元年)2月8日 - 1888年(明治21年)8月29日)は、日蓮宗の僧。日蓮宗の初代管長。久遠寺73世。
新居 日薩 | |
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1831年(天保元年)2月8日 - 1888年(明治21年)8月29日 | |
諡号 |
文明院 容月 |
尊称 | 日薩 |
生地 | 上野国山田郡桐生(現在の群馬県桐生市) |
宗派 | 日蓮宗 |
寺院 |
寂光院 久遠寺 |
師 | 日輝 |
生涯
編集上野国山田郡桐生(現在の群馬県桐生市)の織物問屋の6男として生まれた。字は文嘉。号は文明院と容月。また祖父の新居善右ヱ門は、寂光院の前進である寂光庵を建立した人物である。1839年(天保10年)に出家し、その後、加賀国金沢(現在の石川県)にある充洽園に入って日輝から開明的な宗学を学んだ[1]。
明治以降は東京に移り住み、東京・二本榎(現在の港区高輪)の日蓮宗宗教院を拠点に宗門子弟の育成に当たった。また1874年(明治7年)には日蓮宗の初代管長に就任した[2]。
著書
編集- 『日蓮宗教義大意』
脚注
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