和田善平
日本の建築家
和田 善平(わだ よしひら[1]、1844年(弘化元年)[1] - 1908年(明治41年)5月2日[1])は、日本の建築家。
経歴
編集京都生まれ[2]。家は代々朝廷の内匠(うちたくみ)職(棟梁)[1]。明治時代になり東京に移り、内匠課雇として宮内省にはいり、建築掛設計方として皇居造営[2]、小松宮・東伏見宮・梨本宮の邸宅の設計などに関わる[3]。
造営では賢所、神嘉殿などを担当した[2]。また東宮御所に1897年(明治30年)新築の新御座所を手がけている[2]。
1908年(明治41年)5月2日歿。享年65歳。墓所は青山霊園1-ロ21-1。墓石には、内匠寮技師正七位勲六等和田善平と刻まれている。また、墓碑に刻まれている歿年が「明治四十一年五月一日」となっており、記録とは1日ずれている。
脚注
編集参考文献
編集- 『官報』1908年5月4日「敍任及辭令 和田善平(宮内省)」
- 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
- 9072 明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯 : 相模国大山大工・手中家の日記から(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会) 小沢 朝江 学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠), 143-144, 2012年9月
- 明治宮殿の設計内容に見る「奥宮殿」の構成と聖上常御殿の建築的特徴 山崎 鯛介 日本建築学会計画系論文集 69(586), 163-170, 2004
- 明治宮殿の建設経緯に見る表宮殿の設計経緯 山崎 鯛介 日本建築学会計画系論文集 68(572), 159-166, 2003
- 紀伊徳川家江戸中屋敷の旧日光田母沢御用邸への移築について 中村 光彦 , 浅羽 英男 , 河東 義之 [他] , 海老原 忠夫 , 今井 正敏 日本建築学会計画系論文集 66(542), 199-205, 2001
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 東京都立中央図書館木子文庫所収の明治宮設計図書に関する研究 藤岡 洋保 , 斉藤 雅子 , 稲葉 信子 日本建築学会環境系論文集 431(0), 137-146, 1992