アンリ=エドモン・クロス
アンリ=エドモン・クロス(Henri-Edmond Cross、本名:アンリ=エドモン・ドラクロワ Henri-Edmond Joseph Delacroix、1856年5月20日 - 1910年5月16日)はフランスの画家である。「新印象派」の画家の1人である。
アンリ=エドモン・クロス Henri-Edmond Cross | |
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自画像 | |
生誕 |
1856年5月20日 フランス、ドゥエー |
死没 |
1910年5月16日 フランス,Le Lavandou |
運動・動向 | 新印象派 |
略歴
編集ノール県のドゥエーで生まれた。1865年に家族とリールに移った。1878年にリールの美術学校(École académique de dessin de Lille)でアルフォンス・コラ(Alphonse Colas)に学んだ後、1881年にパリに出て、フランソワ・ボンヴァンやEmile Dupont-Zipcyに学んだ。最初、写実的な「アカデミック美術」の画家として活動した。
1881年に名前をドラクロワからクロスに変え、初めてサロン・ド・パリに出展した。この頃「外光派」の画家として、印象派の画風に転じ、フランスの地中海岸の風景画を描いた。新印象派の画家、ポール・シニャックと地中海岸の写生の中で知り合い友人となった[1]。1884年に、アンデパンダン美術協会の創立メンバーに加わり[2]、アンデパンダン展に出展するようになり「新印象派」と呼ばれるようになる他のメンバー、ジョルジュ・スーラ、アルベール・デュボワ=ピエ、シャルル・アングランらと知り合ったが[3]、クロスが「点描」のような、新印象派のスタイルで描くようになるのは、1891年頃からであった。1891年にはスーラが亡くなっている。
1890年代の半ばぐらいまで点描の作品を描き、その後色の塊は面積を持つようになり、モザイク画のようなスタイルに変わって言ったとされる。
リウマチの療養のために冬は温暖な地を求めて、フランス南部、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏で過ごし[4]、後にサンクレール(Saint-Clair)という小さな村で、1年を通して暮らすようになった。1904年にクロスを訪ねたアンリ・マティスはクロスの作品から影響を受けたとされる。
1910年にサンクレールで没した。
作品
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"La Blouse Rouge" 「赤いブラウスの少女」(1885)
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"Madame Hector France" 「マダム・エクトール・フランス」(1891)
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「沐浴」
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"The Glade" 「木陰の情景」(1906)
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「ヴェネツィアの運河」
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「アンティーブ」 (1908)
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"The Evening Air"「午後の空気」 (1893)
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「風景」circa 1896 -99
脚注
編集- ^ Clement, p. 291.
- ^ Clement, p. 289.
- ^ López-Manzanares, Juan. Á. (2009年). “Biography and Works: Henri-Edmond Cross”. Thyssen-Bornemisza Museum. 14 February 2012閲覧。
- ^ “Introduction: Henri-Edmond Cross, Sketchbook, 1897”. Harvard Art Museums. 14 February 2012閲覧。[リンク切れ]
参考文献
編集- Frédéric Frank, Marina Ferretti Bocquillon, Ortrud Westheider, Michael Philipp (Hrsg.): Farbe und Licht: Der Neoimpressionist Henri-Edmond Cross, Prestel Verlag, München 2018, ISBN 978-3-7913-5772-0, Katalog zur Ausstellung im Museum Barberini, Potsdam, 17. November 2018 – 17. Februar 2019.