小山威雄
日本の政治家
小山 威雄(こやま たけお、1905年(明治38年)7月1日[1][2] - 1981年(昭和56年)8月24日[3])は、日本の実業家、政治家。長野県小諸市長。
小山威雄 こやま たけお | |
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生年月日 | 1905年7月1日 |
出生地 |
日本 長野県北佐久郡小諸町 (現・長野県小諸市) |
没年月日 | 1981年8月24日(76歳没) |
出身校 | 旧制青山学院専門部商科修了 |
前職 | 計理士 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1972年4月19日 - 1976年4月18日 |
小諸市議会議長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1963年 - 1971年 |
来歴
編集長野県北佐久郡小諸町[4](現小諸市)で、小山重右衛門、婦美野の息子として生まれた[1]。旧制小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て[1][4]、旧制青山学院専門部商科修了[1][2][4]。1930年(昭和5年)丸五商店に入社し[1][4]、丸五商会に改組し代表取締役となる[1][4]。1944年(昭和19年)計理士を開業[1]。1947年(昭和22年)小諸商工会議所会頭となる[1][4]。1951年(昭和26年)長野県商工信用組合監事に就任した[1][4]。
1953年(昭和28年)小諸市教育委員[1]、1963年(昭和38年)小諸市議会議員となり[1]1971年(昭和46年)まで2期在任し、同議長も務めた[1][2][4]。1972年(昭和47年)4月、小諸市長選挙で当選し、1976年(昭和51年)4月まで1期務めた[1][2][4]。在任中は主に福祉政策に力を入れた[2]。その他、長野県水道協会理事、全国国鉄自動車協力会副会長などを歴任した[1]。
親族
編集脚注
編集参考文献
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