佐久間定吉
佐久間 定吉[1](さくま さだきち、旧姓・池田、1874年(明治7年)10月19日[2] - 1940年(昭和15年)8月14日[3])は、日本の商人(生魚[2][4]、鮮魚商[5][6])、地主・家主[7]、実業家。族籍は東京府平民[2][4][5]。
人物
編集静岡県平民・池田與三郎の三男[2][5]。東京府平民・佐久間藤吉の祖父藤翁の養子となり、1894年に分かれて一家を創立する[2]。生魚商を営み、直接国税450円を納める[2]。東京土地取締役支配人[8][9]をつとめる。地家主である[7]。
家族・親族
編集- 佐久間家
- 妻・ふく子[1]、あるいはふく[2][7](1880年 - ?、東京、佐久間藤吉の妹[2]、佐久間仙太郎の養女[5])
- 長男・勝雄(1904年 - ?、第百銀行員)[7]
- 長女(1901年 - ?、東京、勝部兵助の妻)[7]
- 孫[7]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b 『現代人名辞典』サ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』さ22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月22日閲覧。
- ^ 「(死亡広告)父定吉儀」『朝日新聞』1940年8月16日、5面。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』さ32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第3版』さ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月22日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第15版』東京さ之部625頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 上』サ7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月6日閲覧。
- ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第19版』東京府150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月26日閲覧。
- ^ 『銀行会社職員録 第2版』338 - 339頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月15日閲覧。