藤原人数
藤原 人数(ふじわら の ひとかず、生年不明 -大同4年8月5日(809年9月17日))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官。藤原式家良継の娘で、藤原北家鷲取の妻。藤原藤嗣の母。姓は朝臣。官位は従三位。兄弟に藤原宅美、姉妹に藤原乙牟漏・藤原諸姉らがいる。
生涯
編集淳仁朝の天平宝字7年(763年)正月、藤原乙刀自・今児らとともに、無位から従五位下に叙される[1]。その後、称徳朝では不遇であったが、光仁朝・桓武朝では順調に昇叙を重ね、延暦4年(785年)正月、和気広虫・因幡国造浄成女とともに従四位上に昇っている[2]。その後、後宮を退き、嵯峨朝の大同4年(809年)8月、散事従三位で薨去[3]。
官歴
編集『六国史』による