武弘宜路
武弘 宜路(たけひろ のぶみち、1848年6月25日(嘉永元年5月25日[1][注釈 1]) - 1917年(大正6年)8月23日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。
経歴
編集周防国都濃郡末武北村(のち山口県都濃郡花岡村、現・下松市)生まれ[1]。長州藩士で農業を営む[1]。漢、英、数、兵学を修め[1][3]、1868年、陸軍に入り、1874年、大尉に進み、正七位に叙せられる[1]。1877年、徴兵副使となり、西南戦争に参加する[1][3]。翌年勲五等双光旭日章を授けられる[1]。1881年、軍を退役し[1]、村会議員、山口県会議員、所得税調査委員、徴兵参事員を務め[1][2]、防長農工銀行、防長米同業組合各創立委員となる[1]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において山口4区から中央交渉会公認で立候補して初当選する[4]。1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して復帰する[5]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では国民協会公認で立候補して三選[6]。衆議院議員を3期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して落選した[7]。1917年に死去した。
脚注
編集注釈
編集- ^ 同書に「武弘宣路」、「閏五月廿五日」と記載。
出典
編集参考文献
編集- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。