後藤秀四郎
後藤 秀四郎(ごとう ひでしろう、1880年〈明治13年〉1月[1][2] - 没年不明[2])は、大正から昭和時代の政治家。大日本帝国陸軍軍人。千葉県船橋市長。
経歴
編集東京府出身[1]。後藤義文の三男[1]。陸軍士官学校(12期[3])を卒業し、大佐に累進し、第1師団司令部附(千葉医科大学服務)を最後に[4]予備役編入となる[1]。その後、1938年(昭和13年)12月に船橋市長に就任した[5]。
太平洋戦争前夜の市政を担当し、市金庫の設置、市立船橋中学校(のちに県立)の開設、町会設置、常備消防部設置などを行った[5]。太平洋戦争末期に船橋市は空襲を受け、1945年(昭和20年)5月には第1次疎開が行われた[5]。終戦後も3か月混乱した市政を担当した[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 陸軍省 編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調』偕行社、1927年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年 。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 山崎正男 編『陸軍士官学校:保存版』(第8版)秋元書房、1990年。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。