萩原 守一(はぎわら もりいち[1][2]/しゅいち[3]1868年3月20日慶応4年2月27日[2][3]〉 - 1911年明治44年〉5月25日[1]または5月26日[3])は、明治時代の日本外交官位階および勲等従四位勲三等。旧姓は石川[2]

生涯

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長門国豊浦郡宇賀村(現在の山口県下関市)に生まれる[4]。兄は石川耐蔵[4]

1893年(明治26年)、萩原明輔の後を継ぎ[5]、萩原に改姓[3]

1895年(明治28年)、帝国大学法科大学法律学科を卒業[3]。卒業後は外務省に入省して、外交官となった[1][3]

1897年からドイツ帝国公使館に勤務する[1]。その後ベルギー大韓帝国アメリカ合衆国公使館書記官を務めた[1][3]1906年奉天総領事館総領事となる[1][6]

1908年(明治41年)に外務省通商局長に就任した[3]

1911年5月に死去[1][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 萩原守一 - 国立国会図書館(近代日本人の肖像)2022年12月15日閲覧。
  2. ^ a b c 萩原守一」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E5%AE%88%E4%B8%80コトバンクより2022年12月15日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h i 萩原 守一」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E8%90%A9%E5%8E%9F%20%E5%AE%88%E4%B8%80コトバンクより2022年12月15日閲覧 
  4. ^ a b 近代名士之面影 第1集」国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 護国寺の墓誌
  6. ^ 奉天総領事館 - アジア歴史資料センター(公文書に見る明治日本のアジア関与)2022年12月16日閲覧。
先代
石井菊次郎
外務省通商局長
1908年 - 1911年
次代
坂田重次郎